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事業と人を残す、 横山義久さんの45年

事業と人を残す、 横山義久さんの45年

取材・文:溝江暁子 写真提供:笑門

ベルビューに日本食レストランがほとんどなかった時代から、45年以上にわたり地域に日本食文化を根付かせてきた横山さん。80歳を祝う会に集った仲間たちの言葉から、その歩みと、何より大切にしてきた「人」への思いをたどります。

8月18日、シアトルの日本食レストラン「笑門」で、オーナー・横山さんの80歳を祝う会が開かれた。スタッフや友人、長年の仕事仲間らが集まり、これまでの歩みを振り返った。

52年にわたり連れ添ってきた妻・恵子さんと

横山さんとベルビューとの縁が始まったのは1981年。日本からやって来た横山さんは、レイク・ワシントン越しに見たベルビューの美しさに魅せられ、その足で市庁舎を訪ねた。当時市議会議員だったケイリー・ボーズマンさんとの会話で、人口約7万5,000人の街に日本食レストランがないことを知り、出店を決意。ビジネス経験も十分な資金もない中で、担保なしで融資を受けることができ「将軍レストラン」を開いた。その後、1986年に「アイ・ラブ寿司」1号店を開店。シアトルやサンフランシスコへと事業を広げ、2025年には東京・半蔵門に「鮨和久」を開いた。現在も「しろう寿司」「笑門」「クサカベ」「鮨和久」の4店舗の経営に携わり、日米で45年にわたりレストラン事業を続けている。

会場には、横山さんがレストランを始めるきっかけを与え、その後ベルビュー市長を務めたボーズマンさんも姿を見せた。約45年ぶりの再会だったという。ボーズマンさんは、当時のベルビューが多様なコミュニティーへと変わり始めていたことを振り返りながら、横山さんが成し遂げてきたことへの敬意を語った。

元ベルビュー市長のケイリー・ボーズマンさん(左)と横山さん

横山さんが残してきたものは、店だけではない。45年間で日本からE2ビザで採用したシェフは165人。アメリカで活躍する場を提供し、新たな一歩を後押ししてきた。長年共に歩んできた仲間たちからは、人との縁を大切にしながら、若い世代に機会を与え、その力を引き出してきたさまざまなエピソードが語られた。笑門の料理人を紹介する場面では、「誰もがヘッドシェフになれる」とチームへの信頼を示す言葉も聞かれた。

季節の味覚を彩り豊かに盛り込んだ笑門の八寸

そんな横山さんの座右の銘は、「金を残して死ぬのは下、事業を残して死ぬのは中、人を残して死ぬのは上」。80歳の祝いに集まった人々と、横山さんを囲むスタッフの姿は、まさにその言葉を映しているようだった。45年をかけて地域に根付かせた日本食文化とともに、横山さんが育て、つないできた「人」が、次の時代へその思いを受け継いでいく。