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シアトル総領事 山田洋一郎さん

昨年6月にシアトルに赴任してきた山田洋一郎総領事。公の場のスピーチで、家族の話なども交えながら軽快に語る姿が見られます。そんなところに親しみが湧くのか、密かにファンクラブもできているそう。今回は山田総領事の人となりに迫ります。

取材・文:渡辺菜穂子
写真提供・協力:在シアトル日本国総領事館

 

シアトルに住む日本人を代表して
声にならない声を届ける

 

価値観が変わる瞬間

在シアトル日本国総領事館ホームページの「総領事のシア トル見聞録」でも、山田総領事の肉声がうかがえる。シアトルに赴任して以来、多くの場に足を運び、さまざまな人々と出会い、学んだことや感じたことを発信。「赴任した土地の事情をよく理解して、その土地の多くの人と知り合いになる」ことを、総領事の仕事の基盤としているそうだ。まずは、これまで外交官として世界各地で勤務しながら直面した出来事を聞いてみた。ご自身の価値観を覆えされるような出来事を3つ挙げるとしたら。「私にとって価値観が変わる瞬間というのは、自分が世の中を知っていると思っていて、実は全くわかっていなかったと気付く時です」と、山田総領事。

「まずはケニアです。日本から見ていると、貧しいアフリカは教育水準も低いと思われがちですが、現地に赴任してみると、いろいろな面でレベルの高さに驚かされました。ケニアには実に優秀な人が多いです」。2010年から13年までケニア公使としてナイロビに滞在していた。当時、すでに携帯電話で送金や決済ができる電子マネー「M-PESA(エムペサ)」が広く普及しており、ロンドンの『エコノミスト』誌などが画期的なアイデアであるとして何度も大きく取り上げていたそうだ。「あんなシンプルな携帯電話を使いながら、こんなに進んだことができるのかと思いました」。ケニア国民は平均3カ国語を自由に操る。生まれたエリアの部族語を母語とし、後にスワヒリ語と英語を習得するのだが、教科書もなく鉛筆もロクにそろわないような教育環境の中で学んでいる。「ケニアの新聞で使われている英語の語彙も非常に高度でした。そんな新聞を皆で回し読みし、共通語である英語やスワヒリ語で政治や経済の議論が活発に行われるのです」。日本から派遣されたケニア公使として生活水準や衛生基準を高めるような国際協力をしていたが、与えるだけでなく学ぶこと、与えられることも多く、目からウロコが落ちるような気付きを得られたという。

 

総領事の役割とは、人と人とをつなぐこと

 

シアトルでも価値観を覆されることがあった。「ひとつは、日系アメリカ人の存在の大きさです」。2017年は、第二次世界大戦中の日系人強制収容が行われた年から75周年に当たり、シアトル総領事としてその歴史を振り返ることが多かっ た。「日系人の方々は、アメリカ国内の偏見と戦い、日本人からは日本を捨てた人という目で見られながら、アメリカの良き市民であることを証明し、努力と労働によって地位と信用を築き上げてきました。この街で政治家や軍隊関係者たちと話をしていると、彼らの中で日系人に対する敬意が非常に高いことを感じます。第442連隊が英雄視されていることもよく話題に上がります」。強制収容の歴史を知識として知ってはいたが、実際にその歴史を築いた社会に身を置き、歴史を生きてきた人々に会うことで、改めてその影響力を実感したそうだ。「現在、一般の米国民が日本に寄せる信頼の土台として、日系人の存在が貢献していると思います」

3つ目として、シアトルに赴任してから耳にした日本人女性の問題を挙げた。アメリカ人男性と離婚した後に、子どもの 養育権などを盾に辛い生活を強いられているケースが非常に多いという。ワシントン州では離婚の際、結婚している間に 築いた財産や権利を夫婦で共有するという制度がある。情報不足や言葉の壁により、その権利を放棄させられ、不利な離婚が行われたという話もある。「しかし、そのような問題は、普通に生活していてもあまり目にしないし、外交の仕事でも出合わない。大きなニュースになることもないのです。そのような声にならない声を届ける必要があります」。そこで、山田総領事は州都オリンピアに自ら足を運び、ワシントン州の政治家たちに問題提起をしている。「不公正な部分に目をつぶった状態で豊かな日米関係が築けるとは思わないですから」

シアトルでの総領事の役割

「総領事の役割とは、人と人をつなぐことだと思っています。ひとりでどんなに頑張っても、それほど大きなことはできないですが、総領事という立場で、大きな力になってくれる人たちとの橋渡しになることができます」

シアトルには総領事としてやれることが多いという。「個人レベルで何かをやりたい人、何らかのプロジェクトをされている人が多くて、私はそういう人たちから話があれば、お手伝いしています。政治家や行政府との関係が深いので、民間企業とそこをつなげることでプロジェクトをより大きくしたり、スムーズにしたりできます」。では、総領事自身が進めようとしている分野はあるのだろうか。「私がシアトルのことをよく知っているわけではないので。いろいろなことをやろうと思っている方のお手伝いをするほうが、効率が良いのです」。なるほど、理にかなっている。

日米間の人材招へい派遣を行うカケハシプロジェクトのひとつとして沖縄から訪れた高校生に歓迎の挨拶を

一般的には、パスポートやビザの発給を行う場所というイメージが先行する領事館。実際には多様な役割を担っているが、その多様な部分を、総領事という責任者の立場から説明してもらった。

「第一には『文化と経済交流』です。管轄地域であるワシントン州とモンタナ州ー日本の間で人と人が行き来して、取り引きをして、関係を深め、信頼感を増すことの手助けをします」。投資やビジネスの橋渡し、(日本の学校に海外の青年を招致する)JETプログラムなどの教育における協力、日本文化の紹介、姉妹都市交流のサポートなどが含まれる。第二に「日本人の利益の保護」が挙げられる。「日本人に対しての支援は、われわれの仕事の重要なところです。先ほどの離婚した日本人女性のケースもそうですが、直接お金をあげるなどという支援ができるわけではない。しかし、情報の提供、社会的な意識の覚醒、政治的交渉などはできます。この地で困窮している日本人がいれば、何ができるのかを考え、できることを実行します」。第三に「政策広報」。「領事館には外交交渉の役割はないですが、日本の立場や政策を理解してもらうことは重要です。日本が国際協力として途上国のために支援をしていることや、地球温暖化のために行なっていること、そして領土問題などにおける日本の立場などを、折に触れて説明します」

将来の文明のあり方が見えてくる

総領事にとって、シアトルはどんな街に見えるのだろうか。「ひと言で言えば、素晴らしい街です。非常にオープンな場所だと思います」。地理的にも東アジアに近く、日本の氷川丸が最初に停まったのもシアトルだし、トランプ政権の入国制限令に抵抗し連邦裁に提訴したのもシアトルだ。「また、将来の文明のあり方が見えてくる場所でもあります」。マイクロソフトやアマゾンなど世界的なハイテク産業の中心であり、日本のハイテク業界の人々の注目を集めている。「ダイナミックで学ぶことが多い都市です」

仕事柄、どこで暮らすのも楽しめるほうだという山田総領事。「ですが、家族はそうとも言えず、住みやすいところや住みにくいところがあります。シアトルは日本に住んでいるのと同じぐらい、もしかしたらそれ以上に居心地がいいようです。個人的には人が優しく、丁寧な街だと思います」。シアトルでお気に入りの場所を聞いてみた。「遠出をすることはあまりないですが、最近よく出かけるのは、マグノリアにあるディスカバリー・パークです。住んでいるところから15分くらいで行けるし、森があり、海岸があり、何時間いても退屈しないですね」

2018年サクラコンの開会式にてドラゴンボールのピッコロやイチローを従えて悪代官のコスプレをして開会宣言を行う

人として重要なこと

山田総領事の口調は、どちらかといえば静かで控えめ。ただ口数は多く、温和な笑顔を浮かべ、よく話してくれる。キャリアと家族があり、人生を楽しみ、名実共に成功している人なのであろう。予定していない質問だったが、ふいに気になって生き方のポリシーを聞いてみた。少し考えて、しかし、きっぱりとした口調で答えてくれた。

「生きるということはその場その場で、いろいろな判断をするわけですが、人に説明できないようなことは放置しないようにしています。胸に手を当ててみて、やましいと思えば自分ではやらないし、世の中の『おかしいのではないか』と感じることにも黙っていないで、問題提起を一応はしてみます。それがうまくいくかどうか、受け入れられるかどうかは別ですが、相手が誰であれ言います。それで疎まれたり嫌われたりすることもありますが」。その穏やかな口調からは、ちょっと想像できないが、激しく相手を糾弾するようなこともあるのだろうか。

「感情的になって言う必要はないです。でも、おかしいと思ったことを口に出すのは、人間として重要なことだと思います。それを言わなかったから、戦前の日本は戦争に向かってしまったのだし、現在世界中で起きている人権侵害なども、言えない環境ができていることが問題です。何が善で何が悪かは相対的なことですが、多様な意見のひとつとして『私はこうあるべきだと考える』と言えないような社会や組織は活力が失われると思います」。密かにファンクラブができるほどの人間的魅力は、こんなところにもあるのかもしれない。

最後に在米日本人向けのメッセージをいただいた。「ここに在住している日本人の方々は、慣れている日本を離れて外国生活をしているわけなので、お手伝いできることがあればできる範囲で協力したい。総領事館として難しい立場に陥っている方たちもサポートしたいと思っているので、気軽に声をかけてください」

ひとりでどんなに頑張っても、
それほど大きなことはできない

山田洋一郎■神戸生まれ、主に埼玉県春日部市で育つ。1984年に東京大学で学士号(教養学部国際関係科)、2004年にコロンビア大学で修士号(行政学)を取得。1984年に外務省入省。モスクワ、ブリュッセル、ワルシャワ、ニューヨーク、ナイロビで勤務し、うちケニア公使(2010~13年)、ベルギー公使(2013年~17年)を歴任。2017年6月に在シアトル日本国総領事に就任。家族は妻と息子。趣味はゴルフ、碁、ピアノ、読書、散歩、オペラ。

同インタビュー記事を英語で読む:

https://napost.com/interview-with-yoichiro-yamada-consul-general-of-japan/