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隻眼のパイロット 前田伸二さん〜スペシャルインタビュー

不可能を破り、さらなる高みへ挑む
隻眼せきがんのパイロット 前田伸二さん

日本出身のパイロット、前田伸二さんが米国オーナーパイロット協会 (Aircraft Owners and Pilots Association:AOPA) の「チャールズ・E・マギー准将航空インスピレーション賞」を2月にアジア人として初めて受賞。ワシントンD.C.で行われた授賞式とその偉業に迫りました。

取材・文:加藤良子 写真:本人提供

 

前田伸二北海道中川郡本別町出身。日本航空高等学校卒業後、日本大学理工学部航空宇宙工学科に進学するも18歳のときの事故により右目を失明。パイロットの夢を諦めず渡米し、エンブリー・リドル航空大学で航空安全危機管理修士を取得。新明和工業を経て、ボーイング社で航空機製造に携わる。再びパイロットを目指し、アメリカで事業用操縦士と飛行教官のライセンスを取得。2016年に非営利団体エアロ・ジパング・プロジェクトを設立し、若者への講演や飛行訓練を行う。
受賞式を振り返って
前田さんが受賞した「チャールズ・E・マギー准将航空インスピレーション賞」はAOPAによって創設され、航空界で優れた成績を残し、周囲に大きな影響や感動を与えた人物を称える名誉ある賞。授賞式は毎年3月、ワシントンD.C.で開催され、アメリカの航空産業を牽引する第一人者や議員らが集う。
世界一周を果たした愛機「ルーシー」
式典ではマギー准将の遺族より「父の遺志を継ぐ素晴らしい活動に、きっと本人も喜んでいるだろう」と温かい言葉を贈られたことが最も印象に残っているという。また、出席者からは「人種に関わらず、本当に素晴らしい人物を称えることができる。これこそがアメリカの強さ。あなたはそれを体現してくれた」と声をかけられた。
「チャールズ・E・マギー准将航空インスピレーション賞」の表彰盾
母国語も人種も異なる自分がこの賞を受賞し、アメリカの航空史に名を刻むことができたことに深い感銘を受けた、と前田さんは語った。
増槽タンクなしで挑んだ世界一周
前田さんは、2021年5月に約1カ月をかけて世界一周飛行を達成している。愛機「ルーシー」は1963年製のビーチクラフト社製ボナンザ機。機体の製造年に関わらず、航空技術や物理の知識を駆使し入念な準備を行うことこそがアースラウンダー(地球一周飛行をさせた飛行士への称号)の真髄であると捉え、世界一周に向け4年の歳月をかけて改修。増槽タンクの装着は、米国連邦航空局(FAA)からの許可が下りなかった。しかし、前田さんはこの制約を乗り越え、増槽タンクを一切積まずに世界一周を成し遂げるという、世界でただ一人の歴史的な覇業を成し遂げた。
世界一周の出発から22日目、眼下に広がるエジプトのピラミッド
追加の燃料を積まずに世界一周するには、いかに燃料消費を抑えるかが鍵となる。そのため、酸素密度の低い高度を飛行する方法を選択。一般的に低酸素症を防ぐために巡航高度は約3810メートル以下とされるところを、最大5,030メートルまで上昇した。低酸素症で意識喪失することを避けるため酸素ボンベを使用し、30分おきに酸素供給量を綿密に調整する命がけの飛行となった。さらに、ルーシーの最大積載量550キロに対し荷物をわずか32キロに抑え、体重も10キロ減量。極限まで軽量化を図ることで、燃料を節約しながら長距離飛行を実現させた。
愛機「ルーシー」の操縦室
前田さんはたとえ飛行中に命を落とすことがあっても、亡骸だけは必ず家族のもとに帰ると言う信念を持っていた。ベーリング海やオホーツク海といった極寒の海域でのエンジン停止を想定し、ピュージェット湾で着水訓練を実施。正常に生体活動の維持できる10分のあいだに救命胴衣とドライスーツを着用し、遺体だけは発見されるよう備えておくことが、家族に対する責任の証であると考えていた。
2025年夏に実施する日米友好フライト
これまでの飛行人生において、死を覚悟した瞬間は何度もあった。そのたびに生還できたのは、自分に与えられた使命と向き合うためなのではないかと考えるようになったという。「沖縄から韓国への飛行中、戦艦大和が撃沈した海域の上空に差し掛かった際、手を合わせた。その時、戦争で亡くなった多くの英霊なくして今の日本はないという思いと同時に、目の障害を抱えながらも夢を叶えさせてくれたアメリカへの感謝の念が湧き上がった。だからこそ、両国のために命を落とした御みたま霊に祈りを捧げ、慰霊の誠を尽くしたい。そして、空の上で抱いたこの深い感情を、次世代へと伝える。自分が生かされたのは、その義務を果たすためだと受け取った」と語った。
戦後80年を迎える今年の夏、日米友好フライトの実施を予定している。訪問地のひとつ、ユタ州のウェンドオーバーは、B29爆撃機が日本に向けて飛び立った地だ。前田さんは80年前、日米間では確かに激烈な戦争があった。だからこそ亡くなった人々の思いに真摯に向き合い、感謝と敬意を示す文化を醸成すること。それこそが、悲劇的な戦争を二度と繰り返さないための道だと信じている。
前田さんの原動力とは
「私のすべてであり、宝物です」と前田さんが語る、家族の集合写真
前田さんが今、強く訴えたいことは「まずはやってみることの大切さ」である。特に、親世代の否定的な言葉ほど、子どもたちの夢や希望を打ち砕くものはないと警鐘を鳴らす。大人こそ固定観念の足かせを外し、もっと自由な発想を持ってほしいと願う。その考えをもとに立ち上げた非営利団体「エアロ・ジパング・プロジェクト」では長年の操縦経験を生かし、独自の操縦体験プログラムを実施。飛行機の操縦を通して成功体験を得ることが、航空業界のみならずさまざまな分野で活躍する人々の潜在能力を引き出す起爆剤となることを目指している。アメリカでは教官が同乗すれば、操縦訓練には年齢制限も免許も必要ない。「来て、見て、操縦して!」と前田さんは呼びかける。最近では、同僚の80代の母親に操そうじゅうかん縦桿を握ってもらったことがあった。そのとき、彼女は目を輝かせながら「人生で一番ワクワクした」と声を弾ませたという。
前田さんの挑戦は終わらない。世界一周を成し遂げ、名誉ある賞を受けた今も、彼の視線はさらなる高みを見据えている。「不可能だと言われることも、やってみなければ分からない。誰かの『やってみたい』という小さな火種を大きな炎に変えるきっかけになれたら、これほどうれしいことはない」。その探究心と熱い思いは、挑戦することの尊さと、それに向き合う勇気と希望を与えてくれる。
子どもたちと、非常用安全装備品点検をしたときの様子

Aero Zypangu Project
PO Box 12882, Mill Creek, WA 98082
contact@aerozypangu.com
www.aerozypangu.com

この夏、愛機「ルーシー」と前田さんの師匠であるエイドリアン氏の愛機「ジーナ」による、戦後80周年記念 日米友好フライトの実現を目指し、クラウドファンディングを実施しています。皆様の温かいご支援をお願いいたします。gofundme