第7回 心はいつも
シアトルとの出会いは22の春。北米に生活拠点を移そうとバンクーバーに向かった。10時間のフライトは寝たらあっという間で、ふわふわ寝ぼけながら目を開けたらシアトルだった。初めて見た北米の世界。空気がカラッとしていた。寒かった。おじさんの顔が大きく描かれた飛行機が見える窓際で食べた24ドルのシーザーサラダ。冷たくて歯が痛かった。
23の春、バンクーバーからシアトルに移住した。
初めて生活した感想は、「外国人、多いな〜」だった。バンクーバーにいたときは、むしろ中国語が上達したほど中国の方が多くて安心感があった。シアトルは働く人とトレーニングしている人が競歩しているような町で、空気中にアドレナリンがあふれているなと思ったことを今も鮮明に覚えている。そんな人たちの中に自分がいることがうれしい日もあれば、ふさわしくないと思う日もあれば、ため息が出る日もあれば。そして今、そんな日々を重ねたシアトルでの暮らしに終止符を打ち、私は日本へ帰ることを決めた。
シアトルについて徒然と語れと言われたら、割り当てられた文字数が足りない。けれど一つ、間違いなく言えることは、私はシアトルが好きだった。シアトルにいる自分も何よりも好きだった。
帰宅ラッシュに待ち受ける渋滞も、トンネルを一つ抜ければ果てしなく広がるエメラルド色に光る海も。明けないどんよりした冬でも、長い夜を彩るネオンライトが私を照らしてくれた。そこに立てる自分が誇りだった。
小さい頃からせっかちな親に育てられた私は、いつも生き急いでいて、「早く自分の生活拠点を見つけて、そこで根を張っていく努力をしないといけない。そうしないと安心なんてできない」と思ってた。走り続けて、走り続けて、24歳。
何度かこけて、やっと人生はオートウォークだと気づくことができた。人生は走らなくても進んでいって、止まるほうが不可能だった。人生が私を運び、見せてくれる風景はいつも予想外だ。次はどこへ運ばれていくんだろう。
心に絆創膏を貼りながら、前を向き始める。いろんなことを一度に経験した。失ったもののほうが多かった。数え切れないくらい失ったのは、それ以上にシアトルが私に全てを与えてくれたからだ。
故郷は生まれたところでもなく、住んだ時間が長いところでもなく、心がいつも思う場所だ。離れていても、ずっと、シアトルと共に。


















