カリフォルニア・ドリーミング
「葉は枯れ果て 空は灰色 散歩に出た ある冬の日 ロサンゼルスなら 穏やかに暖かく過ごせたのに」
いわゆるカリフォルニア・サウンドの道しるべになったと言われる、60年代のママス&パパスのヒット曲「夢のカリフォルニア」。サンディエゴで、久しぶりにそんな気分を味わった。
バンクーバーと違って、どこに行くにも車が要る。高速道路は6レーンあり、車のスピードも速い。レンタカーを運転する相棒ジェームズは、入り組んだ高速道路を間違えず乗り継ごうと必死。それでも、出口直前のナビを追えず、あわや通り越してしまう。カーナビ以前、われわれは一体どうやって目的地にたどり着いていたのか? でも慣れれば、晴れた日の高速道路は爽快。同じく60年代に活躍したザ・ビーチ・ボーイズの歌が聞こえてきそう。ヤシの木々や地域独特の黄土色の街並みも、これぞ「カリフォルニア」!
▲サンディエゴはシアトルから飛んだら150ドルと、バンクーバーからと比べ4分の1で済むため、高速バスを利用し、シアトル経由の旅となった。シアトル市は昨年、ダウンタウン至近のDenny Wayにピックルボールのコート2面を新設。人気ぶりがうかがえる
しかし、屋外ピックルボールを期待して来たのに、1週目はほとんど雨模様で屋内コートに。最寄りの会場に出かけると、フレンドリーな女性カップルが、話題のレストランやカフェを推薦してくれた。バンクーバーからのアラスカ・クルーズを予定しているとわかり、今後のつながりにも発展。ピックルボールという共通の趣味を通じて心を開くと、相手の信頼をも得られることが多々ある。
◀︎ 雨のサンディエゴ。宿近くを散歩すると、ジェームズが春菊を発見し、早速夕食に。花で食卓にも彩り
ピックルボールの屋外コートで出会ったカップルは、初対面にもかかわらず、3日後には自宅での夕食に招いてくれた。アジア系留学生をホームステイさせているという慈善家。良い人たちに囲まれ、すっかりサンディエゴが好きになった。ピックルボールの場のみならず、街で道先案内を尋ねても皆、笑顔で応対。これはひょっとして、開拓時代に互いに武器を持っていないことの証として握手をするという伝統の続き? 何かと物騒になったアメリカでも、ここなら住みやすそうだ。
帰る前日、夫が元米海軍勤務だという前述の慈善家カップルが、太平洋艦隊の主要母港である米海軍基地を案内してくれた。軍人2万人、民間人6,000人が働くそう。海の眺めが素晴らしいミラマー国立墓地もある。墓石は、軍隊の配列のごとく整然と並び、その厳粛・神聖さに圧倒される。ここには、1945年1月、フィリピン沖で日本の神風特攻隊の攻撃を受けて沈められた米海軍の護衛空母「オマニー・ベイ」の死者95名を弔う記念碑も。気が付けば、戦争の悲惨さ、みにくさが思い出される観光となった。
▼ ピックルボールのコートで会った地元の夫婦。「わが家でぜひ夕食を」と、2試合しただけでこの招待。時間をかけて準備したステーキ、パスタなどが次々と出され、大感激。サメの肉も初めて味わった
戦や紛争がいまだに絶えない。人間同士、なぜ戦い合わなければならないのか。自分(国)が生き延びるため、多くの人間が命を落とす時代は終わったと思ったのに。
▲ 2週目に訪れた郊外都市、チュラビスタにあるマッケンジー・クリーク公園のピックルボール・コート。ブームにつれ年々手狭になるバンクーバーのプレーヤーには、この真新しい8面の公共施設はうらやましい
▲ サンディエゴ西、ポイントロマに位置するレトロなハンバーガー店、コルベット・ダイナー。壁のスクリーンに映し出されるのは、50、60年代の往年のスターたちだ。懐かしいアメリカ文化遺産もいっぱい