アラスカ・ビルディング618 Second Avenue
14階建てのアラスカ・ビルディングは、シアトルで初めての鉄骨建築のビル。今ではビル群の中に埋もれて目立たない存在だが、1904年の落成時は、他に並ぶもののない「超高層建築」だった。外壁に白いテラコッタを張り巡らせ、2階までの部分には砂岩の外壁に大きな天使の頭像や蛇などの彫刻を施した優雅なビルディングで、最新技術のエレベーターもついていた。20世紀のはじめ、当時の中心街だったパイオニア・スクエアから少し離れた丘の中腹にそびえるこのビルは、新しい時代を象徴するキラキラした存在感を誇っていたのに違いない。
このビルができた頃のシアトルは、北国のゴールドラッシュのおかげで驚異的な急成長を遂げていた。黄金が発見されたのはカナダ北東部のユーコン準州クロンダイク。多くの人々が海路でアラスカへ入り、そこから陸路で険しい山道を登るか、ユーコン川の急流を遡って黄金の里を目指した。金を目指して殺到した約7万人のうち、推定3~4万人がシアトルで装備を揃えてアラスカへ船出したという(もっともそのうち、冒険に見合う黄金を手にしたのは300人程度だった)。この一攫千金を狙う人々の群れを送り出す港としての大盛況が、辺境の港町だったシアトルを都会に変身させた。1890年からの10年間で人口は約4万人から8万人へと倍増、街路は舗装され、路面電車網が急激に発達した。
アラスカ・ビルディングは、ゴールドラッシュで一躍本格的な都市になったシアトルの、都会としてのデビュー宣言だったともいえる。最上階には実業界紳士の社交場「アラスカ・クラブ」があり、船の窓を模した丸い窓から活気のある港が見渡せ、アラスカで産出する鉱石やアラスカに関する新聞や資料の図書室も用意されていた。ビル正面の扉にはクロンダイクで見つかった黄金の粒が埋め込まれていたという。現在はマリオット系のビジネスホテルとして営業中。黄金の粒つきのドアはもうないが、外観はほぼそのまま保存されている。建物の裏側に大きく描かれているALASKA BUILDINGという文字もそのまま。
アラスカ・ビルディングがシアトル一の高さを誇ったのは7年間だった。セカンド・アヴェニューにはあっという間にビルがひしめきあうようになり、1911年にはすぐ斜め向かいに17階建てのホーグ・ビルが、その3年後には38階建てのスミス・タワーが完成。シアトルはゴールドラッシュの記憶を後に、20世紀の冒険に乗り出したのだった。
[たてもの物語]