シアトル駐在日誌
アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。
取材・文:磯野愛
#25 田沼 満 ◾️埼玉県出身。1986年セントラル硝子株式会社入社。研究者であると同時に世界各地でさまざまな経験を積んだビジネスマンでもあり、オフィスには化学の専門書から経営や組織マネジメントの本が並ぶ。インド勤務時代に始めたランニングが日課で、現在は平日で10キロ以上、休日はその倍以上を走り込んでいる。
今年の5月、ここシアトルのノースウェスタン・インダストリー(NORTHWESTERN INDUSTRIES, INC.)のCEOとして赴任してきました。本社のセントラル硝子株式会社は山口県宇部市で創業し、もともとは肥料やソーダ灰といった化学製品を扱う会社でした。事業多角化のため、ソーダ灰を材料とするガラスの製造を行う企業を買収したところからガラス事業が始まり、現在はガラスと化学製品の2部門で成り立っています。
大学院まで有機化学を専攻し、セントラル硝子株式会社には化学部門の研究者として入社。3年間の研究所勤務後、営業部異動を機に欧米を中心とした海外取引を任されるようになりました。30歳目前まで1度も飛行機に乗ったこともなかった男がアメリカやヨーロッパに出向き、常に最先端を追いかける日々。仕事がとても面白く、研究所に戻る話も自ら断って、営業部での仕事に没頭しました。1997年には社内の語学研修制度を利用し、コロラド州ボルダーに半年間留学。当時のボルダーは日本のマラソン・チームが高地トレーニングを行う合宿地として有名で、選手時代の有森裕子さんが目の前で懸命に練習をする姿には励まされました。
いったん日本に戻り、そのあとはヨーロッパ・オフィスの立ち上げ業務で6年間、イギリスのマンチェスターで勤務。医薬品や農薬を扱う現地の化学企業の買収に携わりました。家族を連れての赴任で、ふたりの娘が現地の日本語補習校に通っていたために週末も忙しくしていました。それでも、ホリデー・シーズンにはEU圏内で観光旅行を楽しみました。さらに国内勤務を経て2011年にはインドへ。デリーの隣に位置するグルガオンという都市に赴任しました。専門の化学に加えてガラス事業も任され、新たなマーケットの開拓に向けて買収先となる現地企業の候補を片っ端から当たる日々でした。インドでのビジネスはまだ粗削りな部分もありましたが、商談相手の意欲とポテンシャルを強く感じました。おそらく、日本の高度成長期とはこのようなものだったのではないかと推察させるものでした。生活面では不便なこともたくさんありました。限られたエリアで車移動中心の生活を送っていたので、自宅に併設されたジムで健康のためにランニングを始めることに。以来、すっかり虜になり、現在も走り続けています。
その後、シアトルに来る直前は、日本で中国にある子会社の業務も兼務しながら、化学関係の営業部で働きました。前述の通り、私のバックグラウンドは化学なのですが、シアトルではついに、ノースウェスタン・インダストリーというガラス1本の企業に勤務することになりました。
当社はクライアントのニーズに沿ってガラス加工を行っており、アマゾン・スフィアやスペース・ニードルに使われているガラスも当社で加工して納めたものです。具体的には、熱を加えて強化したガラス、クライアントの希望の柄を印刷したガラス、熱を反射してエアコンの効率を上げるガラスなどを造っています。ガラスは成熟産業なので、常に新しいことを追い求めていた化学とは違って技術の変化やスピード感といったものはあまりありません。慣れ親しんだ環境からペースを変える必要がありましたが、何といってもこの仕事でのいちばんの喜びは、自分の会社が成し遂げたことが目に見えて形に残ることですね。
シアトルには単身で来ています。これまでマンチェスター時代の子どもたちのサポートから、インド、シアトルと、私が家を空けている間に日本でしっかり家庭を守ってくれている妻には本当に感謝しかありません。SNSのおかげで日々コミュニケーションが取れているので寂しい思いをすることはありませんが、年末年始に日本へ帰省する際の家族旅行を今からとても楽しみにしています。60歳の節目を迎えるまであとわずか。アメリカにいる間に国立公園めぐりにもぜひ出かけてみたいものです。