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「大人の小学校」がシアトルで開校! 豪華教師陣に注目 NHKディレクター 倉崎憲さん

各分野のスペシャリストを教師に招き、大人向けに授業を行う熱中小学校。2月23日、シ アトルでの初回授業で教壇に立つNHK(日本放送協会)ディレクターの倉崎 憲さんは、 2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で助監督を務めています。授業に 先立ち、現在の仕事とそこに至るまでの道のりをたっぷりと語ってもらいました。

取材・文:室橋美佐 写真提供:NHK

 

ディレクターの仕事とはどの ようなものですか?

取材して題材を見つけることから始まり、題材を通して伝えたいこと、伝えるべきことを世の中へ送り出すまでの番組制作を、企画、ロケ、編集、そして放送まで、全体を指揮する仕事です。題材は、人に密着したものや社会問題など何でもです。ドラマであれば原作探し、オリジナルであれば物語の核となるテーマ探しということになります。

「世界から猫が消えたなら」をラジオドラマ化した際は、原作者の川村元気さんを口説くところから始まりました。タイトルに目を引かれて原作を読み、号泣するほど感動したので、川村さんがNHKの勉強会で講師を務めた際、ぜひラジオドラマ化したいと頼み込みました。川村さんは「君の名は。」や「モテキ」などの映画プロデューサーとして今最も注目されている方で、ほかにも多数のオファーが来ている状況。それでも、世界から電話や時計などが少しずつ消えていく原作のストーリーを、ラジオドラマだからこそリスナーの想像力に委ねられるのではないかと、時間をかけて熱意を伝えました。そうして1カ月経ち、「若い人とやってみるのもいいかも」と、返事をもらうことができました。

原作者を口説いたあとは、局へ番組企画を提案します。実はここがけっこう大変。NHKの場合、どのような番組であれ、まずはA4用紙1枚の企画書から始まるのですが、全国47都道府県支局からいろいろな企画書が上がってくるわけです。企画が通らないことには、自分の番組を作ることはできません。「世界から猫が消えたなら」の企画を通すのも、川村さんを口説く以上に時間がかかりました。

企画が通ると、ドラマであればキャスティングが次のポイントになってきます。作品をより多くの人に届けるには、役者さんの力がものを言います。「世界から猫が消えたなら」は、原作を10ページほど読み進めたところで主人公は絶対にこの人しかいないと思い描いたのが、妻夫木聡さんでした。でも、妻夫木さんほどの俳優がラジオドラマに出演してくれる可能性は低いなと。しかも、私のような若手の場合、直接本人へ気持ちが届かない限り、事務所の段階で却下されることも。そこで、妻夫木さんへ宛てた手紙を書き、マネジャーさんに本人に渡して欲しいと懇願し、届けました。翌週に返事をもらえた時はうれしかったですね。そこからは、とんとん拍子で放送まで進んでいきました。実は、妻夫木さんが手紙に興味を持ってくれたちょっとしたきっかけがあったのですが、それは熱中小学校の授業で話す予定です。

 

助監督を務める大河ドラマで は、どのようなことをしていますか?

今回の大河ドラマでは現在、メイン監督が4人、助監督が12人ほどいて、1話ごとに担当をローテーションしています。撮影現場を仕切る助監督は、撮影スケジュールを組むところから始まります。昨夏、「いだてん」の海外ロケがストックホルムで3週間ほど行われた際には、当時のオリンピックを再現するために多国籍の役者さんを現地プロダクションと協力して集めました。

ドラマ制作とは、ひと言で表現すれば脚本の映像化です。脚本家の宮藤官九郎さんが紡いだユニークたっぷりの脚本に、さらなる命を吹き込むように、スタッフとキャスト全員で映像化に力を尽くしています。役者さんの役作りのサポートも大切な仕事。主人公、金栗四三(かなくりしそう)役の中村勘九郎さんは1年以上前から陸上選手としての体づくりをし、金栗選手の走り方の特訓を積み、さらに熊本の方言も学んでいます。専門家を探して役作りに必要な指導をディレクションしていくことも、私たち助監督の仕事です。大河ドラマは、スタッフだけで100人超えの大所帯。各部署のプロフェッショナルたちが集まって、シーンのひとつひとつが作られていきます。キャストの皆さんも素晴らしく、自分たちの想像を超えるものが現場で生まれる瞬間には、毎回心が震えます。

監督は、大河ドラマに出演する大御所の役者さんたちとも対等に真っ向から向き合わなければならない立場でもあります。作品や史実を深く理解するのはもちろん、大所帯を率いていく人間力も必要です。自分も挑戦できたらうれしいです。

 

なぜ、ディレクターに? 現職 に就くまでの経緯を教えてください。

もともと自分はコンプレックスの塊で、大学入学当時も、活躍する同世代と自分を比べては鬱憤を溜めているような日々でした。サッカー選手やアーティストなど何かを自分らしく表現している人がうらやましくて。サークルを転々としながらも、物足りなさを感じていた1年生の終わりに、「何かを変えたい」とラオスへひとり旅に出かけたんです。そこで、NPOで働く日本人と知り合い、貧しい農村を案内してもらう機会がありました。青空教室のような粗末な校舎で子どもたちが勉強していて、人々が「自分の子どもたちにはせめて初等教育を受けさせたい」と口々に話していたのが強く印象に残りました。「自分にも何かできるんじゃないか」という思いが体中をめぐり、帰国後すぐの2007年3月、ラオスに小学校を建てるプロジェクトを始動。当時19歳の若気の至りとも言える衝動的行動ではありましたが、仲間を集め、資金を集め、村人や現地政府と話し合いを進め、2008年9月には小学校建設が叶いました。現在も国際団体SIVIO(シビオ)として、学生たちによる援助活動が続けられています。現地のニーズを聞きながら、学校のトイレを整備したり幼稚園を造ったり。学生は皆、「友だちに何かしてあげる」というイメージで動いています。

同じ頃にカンボジアで小学校建設をした葉田甲太さんという方が、自身の活動を題材に『僕たちは世界を変えることができない。』というノンフィクション書籍を出版して、私も写真提供をしました。写真撮影は昔から好きなんです。その書籍が2011年に深作健太監督により映画化され、その制作現場に立ち会わせてもらいました。自分たちが学生としてやっていたことが、役者さんやスタッフを通して映画化されていく過程を目にして、いい意味で違和感を覚えたというか、不思議な感じがしました。「こういうものづくりをしたいな」と、ドラマ制作に興味を感じ始めたきっかけでした。

NHK入局が決まってから、大学を3カ月間休学して世界一周旅をしました。インドのガンジス川ほとりに火葬場があるのですが、眺めていると、年寄りだけではなく自分と同年代くらいの20代、30代の若者も運ばれてくるんです。死を身近に感じた初めての体験で、「この人生で何をすべきか」ということを真剣に考えました。そして、「監督として映像を撮りたい」という思いを強くしました。映像は、監督のアイデアから生まれてくるもの。監督自身の人生経験が作品になっていきます。そんな仕事に強くモチベーションを感じるだろうと思ったんです。すぐ近くのインターネット・カフェで海外の映画専門学校を調べ、その検索で見つけたニューヨーク・フィルム・アカデミーで大学卒業間際に2カ月間の短期留学をしました。

 

今後の活動について、抱負を 教えてください。

ニューヨーク留学中に、偶然にもハリウッドで活躍するキャロライン・バロンさんという女性プロデューサーに出会い、彼女の現場に立ち会わせてもらいました。多国籍でいろいろな人種のキャストやスタッフが一緒に働いているハリウッド映画の現場でした。いつか自分も、多国籍スタッフ、キャストと共に、世界中の人に感動してもらえるような作品を撮りたいと思います。

情報があふれる中で、本当に良いものが埋もれてしまう時代。メディアや人々のライフスタイルも多様化する今だからこそ、本当に良いものを作って、それをより多くの人へ届けていけたらと考えています。


NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」

作:宮藤官九郎 音楽:大友良英 噺 はなし:ビートたけし
出演:中村勘九郎・阿部サダヲ/綾瀬はるか・生田斗真・杉咲 花/森山未來・神木隆之介/ 竹野内豊・大竹しのぶ・役所広司 ほか
“日本で初めてオリンピックに参加した男”金栗四三と“日本にオリンピックを呼んだ男”田 畑政治。この2人がいなければ、日本のオリンピックはなかった。1964年東京オリンピック が実現するまでの日本人の“泣き笑い”が刻まれた激動の半世紀を、豪華キャストで描く!

シアトル熱中小学校 (2月23日オープン!)
www.necchu-seattle.org

「もういちど7歳の目で世界を・・・」を コンセプトに、大人の学び場、交流の場 として2015年に山形県高畠校を開校。 現在では日本各地に12校を展開する。 シアトル校は海外初。入学申し込みは ウェブサイトから。

倉崎 憲■1987年京都生まれ。同志社大学在学中に国際団体SIVIO(シビオ)を立ち上げ、ラオスでの小学校 建設活動に携わる。2011年NHK入局。初演出したラジオドラマ「世界から猫が消えたなら」がギャラクシー 賞奨励賞、イタリア賞入選。その他の演出作品に、熱中小学校が生まれた山形県高畠町が舞台の山形発地域 ドラマ「私の青おに」などがある。50カ国以上を旅し、現在も仕事の合間を縫ってひとり旅を楽しむ。

室橋 美佐
ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から2022年まで北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長を務めた。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。