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絵本作家 宮西達也さん

10月26日、シアトルの紀伊國屋書店で開催の読み聞かせ&サイン会に訪れた、絵本作家の宮西達也さんを直撃!人生初となるアメリカ、作品などについて話を聞きました。

取材・文:ハントシンガー典子 写真:小林真依子

世界に通用する絵本を日本から

作者自ら大声を張っての読み聞かせや人形劇、子どもたちとコミュニケーションを取りながらのサイン会に、会場は終始なごやかなムー ドに包まれていたが、本人いわく「(アメリカでのイベントは)まだ慣れない。時差ボケも直らないし、喉はかれるし……」と、お疲れの様子。もともと飛行機が苦手なところに、10時間以上のフライトはこたえたようだ。「中国、韓国 と、海外にはすでに行っています。近いところから始めて、だんだん遠方に行ってもらいたいので」と冗談交じりで話すのは、宮西さんに同行するポプラ社の長谷川均代表取締役社長。宮西さんの作品を「世界に通用する絵本」と見込んでオファーし続け、このアメリカ紀伊國屋書店各店舗でのイベント開催が実現した。

「10月19日にアメリカに着いて、ニュー ヨークから始まり、ニュージャージー、ダラス、 シアトルと来て、この後はサンフランシスコ、 サンノゼ。青や緑の目の人に慣れていないか ら初日は緊張してしまって……。シアトルの お客さんは、大人しいね。ダラスはにぎやかだったよ、やっぱりカウボーイの街だね」という宮西さんは、だんだん「Hi」と言えるようになってきたと笑顔を見せる。各回盛況で、『お まえうまそうだな』の読み聞かせでは涙ぐむ子どもの姿もあったそう。出し物は客の反応を見つつ変更し、工夫を続けている。「アメリカでは見てすぐわかるものがウケる。『ままみてて』、『はらぺこヘビくん』、『またまたはーい!』とかね。『うんこ』はダメだった」と、まだ手探り。日本ではどうなのか聞いてみると「日本でウケないものはない」と、さすがの貫禄だ。

アメリカから帰国後はその足でライブ・ペ イントに徳島へ駆け付ける予定といい、還暦を迎えてもなお、全国のイベントに飛び回る日々。その元気の源は一体何か。「元気なんかじゃないよ。ちょっとは労わって欲しい(笑)。 でも子どもたちが喜んでくれるから、それがいちばんだね。お世話になっているポプラ社さんに恩返しもしたいし。これから歳を取って行けなくなる前に行っておかないとね」と、宮西さんは話す。

作品は描きたいから描く「絵日記みたいなもの」

翻訳され、海外でも知られる絵本作家となったが、「単純にうれしいけれど、描きたいものを描いているだけ」というスタンスは基本的に変わらない。子どものころから「絵を描きたい」の一心だったという宮西さん。大学時代、アルバイトでNHKの人形劇制作のアシスタントをした際にかかわった絵本作りが、 後の絵本作家への興味につながる。「絵本作りは独学。スクールには行かなかった。大学卒業後、就職してグラフィック・デザイナーに なって、それから絵本作家になろうと決心し て出版社への持ち込みを始めた」

絵は手描きとコンピューターの半々で作成。評判を呼んでシリーズ化された絵本も多数あるが、どれもアイデアは「思っていること」「感じていること」から生まれるのだそう。「たとえば、小学生が自殺する時代だから命の大切さを伝えたいと、シニガミシリーズができた。ティラノサウルスシリーズのテーマは 『愛』」。父の気持ちを表した作品が多いのは、 自身が「お父さん」だから。「全部、自分の気持ち。実体験もある。作品は絵日記みたいなもの」。家族や読者がどう思うかではなく、描きたいから描く。「絵本作家になりたいなら、まず自分がなりたいと強く思うこと。絵が上手なだけではなれない。絵が物まねではなく、自分のものになっていないと。自分が描きたいものはこれなんだ、というのがあるかどうか」 と、後進にもアドバイスする。

「シアトルはきれいな街」と話す宮西さん は、紅葉が色づく中、海の景色やスターバッ クス1号店、スモークサーモンなどを堪能し、すっかりシアトルが大好きになったそう。今回のアメリカ体験も今後、絵本の中で見られる日が来るかもしれない。

大型スクリーンを使った読み聞かせおまえうまそう だな人形劇の後はグッズ争奪ジャンケン大会も

宮西達也■1956年、静岡県生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業。映画化もされた大人気絵本、ティラノサウルスシリーズは2017年9月に第14弾となる『ヒヒヒヒヒうまそう』が発売。主な受賞作品に、『おまえうまそうだな』、『あいしてくれてありがとう』、『帰ってきたおとうさんはウルトラマン』、『うんこ』、『にゃーご』、『ちゅーちゅー』、『きょうはなんてうんがいいんだろう』、『ふしぎなキャンディーやさん』などがある。