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ノーラ・コーリさん/国際精神医療ソーシャルワーカー

各国の医療、出産、子育て事情に精通し、40年以上にわたり心理カウンセラーとして海外在住日本人のメンタルヘルス・ケアをサポートするノーラ・コーリさん。海外出産・育児コンサルタント、医療通訳、講演者とさまざまな顔を持ち、著書は8冊を数えます。実際に対面すると、終始こぼれるように穏やかな笑顔が印象的なノーラさんに、これまでの半生、そしてグローバルな視点から子どもたちの豊かな心を育むためのヒントを紹介してもらいました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

2018年台湾で日本人ママたちと1989年より海外出産育児コンサルタントとして各国に出向き現地事情を調査している
ノーラ・コーリ▪️日 本 生 ま れ。1965年、家族とニューヨークへ移住し、小学校時代の大半を過ごす。帰国して日本の中学を卒業。高校からはトロントに移り、トロント大学卒業後にソーシャルワーカーとなる。結婚してからは夫に帯同し、シンガポールに滞在。そこで自身も経験した海外出産・育児の調査を開始する。いったん帰国し、2000年代からは再びニューヨークで暮らしながら、コロンビア大学社会福祉大学院を修了。2023年に新天地を求めシアトルへ。www.caretheworld.com
ニューヨーク育ちの帰国子女

1960年代家族とニューヨークで過ごした小学生の頃のノーラさん妹母親と共にパンアメリカン航空のプロペラ機でハワイを経てロサンゼルスへ飛びそこからニューヨークへという長旅だった
カナダとの国境ナイアガラの滝へ家族旅行旅好きの父に連れられ北はメイン州から南はフロリダ州まで東海岸を中心にロードトリップで回った
ノーラさんは、父親が国際金融業に従事する関係で、一処に落ち着くことのない子ども時代を過ごしてきた。7歳で家族とニューヨークに渡り、やがて日本に帰国すると、ここから苦労が始まる。「あまり多様性のなかった当時の日本の公立小学校で、帰国子女は私だけ。あいつはアメリカ人だ、アメリカに帰れ、なんていじめられることもありましたね」
息苦しさを共有できる相手もいなかったノーラさんは、ただノートに書きつづるしかなかった。「自分の中で問題と思えることを書き出したり、アメリカと比較して人々の反応の違いを観察したりしていました。日本にはいろんなルールがあって、みんなが従わざるを得ない。自分ひとりの意志は受け入れられないんだな、と感じていました」
両親の意向で、中学は都内の私立女子校を受験。ところが、父親の福島での勤務が決まり、急きょ転校することに。「そこでもまた、大変なカルチャー・ショックを受けました。休日も外に出るには制服を着ていなくちゃいけないし、男子は七分刈りの坊主頭。体罰もありました」。田舎の旧態依然とした学校システムの中で1年間を過ごし、3年生ではひとり東京に戻って元の女子校に通った。エスカレーター式で高校に上がれるようにと、祖母の家に居候することになったのだ。しかしそれもつかの間、高校からはカナダのトロントへ。「本当に振り回されっ放し!」と振り返る。

トロントでの高校生活は日本を飛び出したいという自身の希望もあったしかし忘れてしまっていた英語に苦しむことに辞書を引きまくり教科書が真っ黒になるほど書き込んでいましたね
カナダ最難関トロント大学に入学して社会福祉を専攻

親の都合で、その土地や文化に慣れたと思ったとたん、また次の場所という変化を繰り返した。そうした自身の経験は、帰国子女をサポートする今の活動に生かされている。
2002年には名門コロンビア大学の大学院へ40代で卒業できたのは人生の中でも大きな出来事でした
結婚後も続く海外暮らし
「大学進学を前に、自分には何が向いているんだろうと考え、人を手助けするソーシャルワークを学ぶことを選びました」。トロント大学を卒業して帰国すると、在日外国人、帰国子女を対象とした心の相談窓口、トーキョー・イングリッシュ・ライフライン(TELL)でカウンセラーとして働き始め、念願の社会福祉の道へ。全国から寄せられる電話相談に応じていた。
その間に結婚し、長男を出産。次に待っていたのは、なんと夫のシンガポール赴任の知らせだった。ノーラさんは、またしても海外へ飛び出すこととなった。帰国子女が帰国子女を育てる時代に入ったんだ、と感慨深さを覚える。「娘はシンガポールで産みました。その時、こんなに日本と違うものかと海外での出産に興味を持ったんです」
1989年当時でも、シンガポールの出産事情は日本と大きく異なっていた。「より自分の意志が通ることに驚きました。無痛分娩や立ち会い出産も、かなり自由に選択できました」。定期検診や超音波検査の回数から、医療保険のカバー範囲まで、国が違えば医療システムも違う。この気付きが、ノーラさんのライフワークとなる海外出産情報の収集につながっていった。
「海外出産を経験した日本人にインタビューをして、国ごとに小冊子を作りました。ひとり知るたび、その友だちを紹介してもらって」。大企業の海外渡航者セミナーに講師として参加し、インタビュー対象者を募ったこともあった。まだインターネットやメールが一般的でなかった時代、ネパール、カメルーン、パラグアイなどで日本人ママたちを探すのは大変だった。アンケートのコピーを配り、郵送したアンケートを返送してもらい、情報を集めては小冊子にまとめていく、そんな地道な活動を続けた。
旅行ガイドブックに出産・育児情報は載っていない。今のように誰もが簡単に情報にアクセスすることができない中、慣れない外国の地で出産を迎えることになった日本人ママたちにとって、これらの小冊子の存在はどれほど心強かったことだろう。
「インターネットの普及で世界中から情報が集まるようになりました。まさに、私のやりたい仕事に直結するテクノロジーだったんです。だって、情報は常に更新されていないと」
ブログなどからインタビュー対象者のネットワークを広げ、日本帰国後は海外出産・育児コンサルタントとして、講演活動や雑誌への寄稿に忙しく動き回った。ただ、インターネットの登場で、ノーラさんだけでなく個々が情報を手に入れやすくなっていたことも事実。そこで、冊子を作って配ることからメンタルのケアへと徐々に移行し、現在に至る。
家族の心を支える、
カウンセラーという仕事
2000年代に入り、ノーラさんに大きな転機が訪れる。夫に帯同し再び暮らし始めたニューヨークで、コロンビア大学社会福祉大学院への進学を決断。メンタルヘルス、医療、障がい者を専門に研究し、修士号取得後は11年間、大人の知的・身体障がい者のためのデイサービスで施設長として運営に携わる。その傍ら、カウンセリングの仕事も続けていた。2017年には沖縄米軍基地内の家族支援センターでカウンセラー職に就き、以降の5年間は日本で児童虐待や家庭内暴力など、家族問題に苦しむアメリカ人の心の支えとなった。沖縄滞在中、臨床心理ソーシャルワーカーの米国国家資格の免許も取得した。
今は人間関係や夫婦仲、子育てに悩む人々の相談を主に受けている。国際結婚をして文化のはざまで悩む人たちに寄り添えるのは、ノーラさんの生い立ちや経験があってこそ。「どのクライアントも環境や家族が違うため、同じケースってないんです。子育ての相談では、子どもをうまく愛せない、子どもと心の距離ができてコミュニケーションを取れない、子どもが学校に行きたくない、親としてどのように関わって良いかわからない、そんなケースも見られます」
心の相談には、どのように対応していくのだろうか? 「たとえば、学校に行き渋る子どもの場合、『学校に行く』ことを最終目的とはせず、根本的な問題がどこにあるのかを見極めることにフォーカスします。学校や家庭、あるいは本人に何らかの問題があるのか、要因を探っていきます」。夫婦間でぎくしゃくしているのであれば、まずは夫婦の歴史を知ることから。どんなきっかけで出会い、引かれ合い、どこですれ違い始めたのか、要因に心当たりはあるのか、過去にどのような対策を試みて成果はどうだったのか、本人はどうしたいのかなど、聞き取りをする。「そのうえで、欠けているコミュニケーション・スキルがあれば教えますし、時に練習してもらうことも。一夜にして解決することではないので、大切なのはクライアントと共に原因を探り、改善方法を考えていくという作業です。答えはクライアント自身で見つけるしかない」。選択まで導くことはできても、クライアントにとっての最適解は本人の中にある、とノーラさんは確信している。
心の相談は、どういうときにするものなのか。「私たちは風邪をこじらせると、肺炎など重症化する前、ちょっと風邪が長引くなという段階で医者にかかりますよね。メンタル面も同じで、関係が悪化してから来る人もいるのだけれど、その前に相談してくれたら修復にもあまり時間がかからないで済むかもしれないですね」。ビデオチャットや電話、メール、または対面で相談を受け付けるノーラさんは、自分に合った方法で気軽に相談して欲しいと話す。「クライアントの希望に沿って私がフレキシブルに対応していく、というのがいちばん効果的だと思っています。私は問題解決のために伴走をするだけ。ほかの方とは少し違うアプローチかもしれませんが」

これまでに世界30カ国の病院を訪問。
現地の助産師や日本人ママたちから具体的な情報を集める日々を送る




子どもと関わる全ての人のために
ノーラさんの代表作世界から学ぶ幸せな子育てリーブル出版

昨春刊行された著書は、『世界から学ぶ幸せな子育て』。ノーラさんは、親の良かれと思ってしていることが子どもを傷付けている可能性のあることを知って欲しいと筆を執った。「子どもを救うには、親自身が変わらないとダメだと気付いたんです」
知らないうちに、子どもの自尊心を傷付けるようなことを言ってしまってはいないだろうか。「いつになったら成績が上がるの?」、「お姉ちゃんみたいにどうしてできないの?」、そういった言葉で子どもたちはとても傷付いているのだとノーラさんは訴える。
また、グローバルな舞台でキャリアを築くために子どもたちが育むべき、自己肯定感や多様性の受け入れといった要素は、これまでの日本に欠けていた部分だと指摘。「子どもの自己肯定感を高めるには、認めて、褒めてあげることはもちろん、リスクを取る勇気を持たせることも大切です。大人も子どもも、失敗は怖いでしょう? 肝心なのは親が『失敗したら失敗したでいいじゃない。そこから学べばいいんだから』と背中を押せるかどうか。挑戦を避けて通っては達成感もなく、成長することができません」
2006年ニューヨーク州のデイサービスで施設長に就任知的身体的障がい者のために働いた11年はやりがいと楽しい思い出にあふれる
2017年より5年間沖縄米空軍基地内家族支援センターにてカウンセラーに同時に米国の国家公認臨床心理ソーシャルワーカー資格を取得とても難しい試験で受かったのが奇跡みたいもう60歳を超えていましたから
実は、親が子どもの才能を見つけて伸ばすというのは、そんなに難しいことではないとも。「お稽古でスケジュールをいっぱいにせず、子どもに自由時間をたっぷり与えてください。その子らしさを発見するには、やりたいことを自由に思う存分やらせてあげることが大事。外遊びで体操の才能が発揮されることもあれば、近所の無料演奏会でバイオリンに興味を持つかもしれません」。お稽古など用意されたものではなく、きっかけを作るための「時間」や「機会」を与えること。それができれば自ずと才能は開花すると、ノーラさんは助言する。
今、ノーラさんは小児科や産婦人科、不妊治療などの医療通訳の仕事も行う。「医療の世界は奥が深いですよ!」と、話しながら笑みがこぼれる。バイリンガルのスキルを使えるだけでなく、アメリカ中の病院から医療事情がダイレクトに伝わってくるのが面白いのだそう。「人を助けたいという思いは、ずっと変わらない。常に新しい情報が入ってくるから、勉強するきっかけにもなっています」。ノーラさんのステップアップはまだまだ止まらない。
加藤 瞳
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。