故郷のシアトルでプロとして初めて公演
ジャズシンガー マヤ・ハッチさん
昨年10月、イースト(日本)とウエスト(アメリカ)からそれぞれミュージシャンが集まり結成されたEast-West Allianceと共にワシントン州ツアーを敢行し、シアトルでもライブ・パフォーマンスを行ったマヤ・ハッチさん。会場にはシアトルの音楽ファンが詰めかけ、にぎわいを見せました。シアトル出身のジャズシンガーとして、日本でデビュー以来、さまざまなジャンルで活躍しているマヤさんに話を聞きました。
マヤ・ハッチ(Maya Hatch)■シアトル生まれ。2009年に日本デビュー。2010年BSフジ人気番組「Beポンキッキ」に歌のお姉さんとしてレギュラー出演。スガシカオやEXILE ATSUSHIのバックコーラスを務めるほか、日産やNTTドコモのCMソングに起用されたことも。2019年8月リリースの最新シングル「Fly Away/フライ・アウェイ」は、R&BシンガーソングライターであるBabyfaceとの共作。Apple Music、Spotify、YouTubeで配信されている。
マヤさんがジャズを始めたきっかけは何だったのだろう。マヤさんは4年間、家族と共に日本で暮らしていたことがある。シアトルに戻って来たのは中学生の頃だ。ある日、父親に連れられてジャズ・ライブへ出かけると、そこで歌っていたのは、シアトルのローカル・ジャズシンガーであるグレタ・マタッサさん。ジャズのスキャットを初めて目の当たりにし、その自由な歌い方に感動を覚えたマヤさんは、ジャズ・ボーカルの勉強を始める。
シアトルのルーズベルト高校に進学すると、同校のジャズ・ボーカル・グループにオーディションを経て入部。在校中はジャズ・フェスティバルなどにも積極的に参加し、数々の受賞を経験した。エリオット・ベイ・ジャズ・フェスティバルでは最優秀ミュージシャン賞にも輝いた。また、ボーカル・グループを通して、恩師であるスコット・ブラウン先生との出会いもあった。ブラウン先生のジャズに対する情熱に触発されたマヤさんは、大学でジャズを本格的に勉強しようと決心する。そして見事、ニューヨークのニュースクール大学から奨学金を獲得。在学中は歌を専攻し、音楽とリベラルアーツの5年課程を2009年に修了した。同年には日本でデビューCD「マイ・フーリッシュ・ハート」のリリースも果たす。
今回のワシントン州ツアーでは、East-West Allianceと共演。そのバンドでジャズ・サックスを担当する小濱安浩さんとマヤさんは、10年来の仲だ。マヤさんのデビュー当時、初アルバムを掲げたツアーで小濱さんと初共演した。小濱さんの長年のバンド仲間である多楽器演奏者、ジェイ・トーマスさんが偶然にもルーズベルト高校でマヤさんが所属したボーカル・グループにスキャットやインプロビゼーション(即興演奏)を教えていたことが縁で、トーマスさんの来日時に初共演が実現した。約7年前から、トーマスさんが来日する際は小濱さん率いるバンドと一緒にライブを開催している。ワシントン州ツアー会場のひとつでもあった母校のルーズベルト高校では、恩師のブラウン先生との再会も果たせた。「先生と現在のルーズベルト高校のジャズバンドと共演できてとてもうれしかった!」と、マヤさんは笑顔を見せた。
マヤさんは現在、日本を活動の拠点としているが、今までで最も印象的だったライブは、2016年にEXILEのATSUSHIさんと共演したライブだと話す。コーラスとして参加したマヤさんは、札幌ドームで5万人を前に、歌手のAIさんとATSUSHIさんによるデュエット曲「Be Brave」を一緒に披露した。「できるだけ多くの人のために歌って、たくさんの人をハッピーにしたい」というマヤさんの夢がひとつ叶った瞬間だった。韓国やシンガポールなど、アジア地域での活動も増えているマヤさんだが、今回のワシントン州ツアーは、シアトルでプロとして初めての公演。「普段、日本で日本人のお客さんを見慣れているせいか、シアトルで大勢のアメリカ人のお客さんを前にすると、少しドキッとしますね」。今後は大好きなジャズのほかにも、R&Bやソウルといった他ジャンルの音楽を作り、アメリカを始め世界中で活躍できるように頑張りたいと目標を語ってくれた。