【春の拡大版】スペシャルインタビュー
平成の名曲を届けた日本人アーティスト
夢に向かって踏み出す 1 歩がひとつの夢のカタチに
あの「格好悪いふられ方」の大ヒットから28年。大江千里さんは現在、最高に「格好良い」ジャズ・アーティストとして、ニューヨークを拠点に活躍しています。2月にシアトルで2度目の舞台を踏んだ大江さんに、これまでの大江千里、これからの大江千里を、じっくり語ってもらいました。
(取材・文:加藤 瞳)
大江千里(おおえせんり)◾️
日本でのポップスターのキャリアから大転身。2008年、47歳でニューヨークへ渡り、名門ニュー・スクールのジャズ専攻科で2度目の大学生活を送る。渡米10年目の2018年、ポップス時代の自身の音楽をジャズにアレンジしたセルフ・カバーのアルバム「Boys&Girls」をリリース。5月にはブルーノート東京で、新しいジャズ・トリオによる凱旋ライブが予定されている。
学び続ける人生。ずっと変わらない心持ち
どうしてもジャズ・ピアノをやりたかった。 自分では大きな決断というより、もう心が決 まっている以上、今しかないっていう直感みたいな感じでした。ジャズ・ピアノは10代の頃に1度勉強し始めたのですが、これはちょっと大変だぞと思っていたらデビューのチャンスが来て…。それでジャズを脇に置いてしまった。オーディションでシンガーソングライターとして合格したんです。それで全力で良い曲を書き続けて、実力をアップさせないとデビューはできないので、当時は死に物狂いでしたね。その間もジャズをいつかちゃんと勉強したいとは思っていて、疑問というか、どうしてもやりたいという気持ちが膨らんでいきました。
僕は3 歳でクラシック・ピアノのトレーニン グを始めて、曲を作り始めたのは6、7歳くらい。 ポップス時代のような曲を書き始めたのが10、 11 歳の頃で、ギルバート・オサリバンとか、カー ペンターズとかを聴いて、こんな曲を作りたいなと。歌う人がいなかったから自分で歌って、録音してポプコン(ヤマハ音楽振興会ポピュラーソングコンテスト)に応募して……。この前、実家で見つけたポプコンの決勝大会のパンフレットに、「ジャズとボサノバが好きな 17 歳です」と書いてあるんですよね(笑)。「とにかく音楽が好きなので、もっともっと勉強しなきゃいけないと思います」とも。だから、心持ちはずっと同じで変わらないんです。
大阪のヤマハなんばセンターに作曲の精鋭クラスみたいなのがあって、そこに通っていた んですが、帰る途中、アメリカ村の三角公園の近くに古い中古レコード屋を見つけて。初めてジャズ・ボーカルのクリス・コナーのレコー ドを買ったんです。今まで聴いたことのないような、クラシックにはないテンションとハーモニーが、何回聴いてもつかめなくて、ものすごく引かれて。そこから、ウィントン・ケリー、 ビル・エバンス、セレニアス・モンクと買っていき、のめり込んでいきました。
このクラスにジャズができていない人がいます
2回目の大学生活を47歳で始めて、周りはハタチ。そんな中にひとりというのは大変でした。 ジャズって、実は数学なんです。全部、理論。感性で心のおもむくままっていうのも間違いじゃないけれど、理論をしっかりやった人と、何も知らない人とでは雲泥の差がある。最初のオリエンテーションで「じゃあセンリとピーターと誰と誰でやれ」って急にセッションが始まって。でも全然できない。僕だけ全く違うところにいるっていうのがわかりました。日本でプロだったし、抜擢されてそのままガーンと行けちゃうかも? なんて思っていたけれど、とんでもない。マイナスからのスタート。真剣にやってもやっても「このクラスにジャズができていない人がいます」とか言われちゃうんです。
ニューヨークはアメリカであると同時にアメリカじゃないんですよね。もう別の国。とにかく世界中から集まった人と文化がカオスになっていて、それが面白い。僕はラテン系の地区に住んでいて、ホリデーに家で作曲とか練習とかやってると、外でジャジャジャ♫アナナレイーヤ♩パパパスパッパパ♫みたいのが始まっちゃうんです(笑)。でも、それがいいんですよね。 いろんな音楽が、日常の生活の中で混沌としていて。だから、ちょっと自分が元気がないと、逆に街に押しつぶされちゃう。
大江千里とSenri Oe
新作「Boys & Girls」は2曲の新曲を除い全て、ポップス時代の曲を初めてジャズにアレンジした、セルフ・カバーのアルバムです。やっぱり10年くらいはできなかったこと。小手先で中途半端にはやりたくなかった。全身全霊でジャズをしに来ているわけだから、自分が持っている強い部分を使っちゃうと元に戻ってしまう気がして、何のためにニュー ヨークへ来ているのかと。だけど、通算して音楽生活35年の区切りだし、ジャズを志し て10 年。ここらで1回、まだ完璧ではないけれど記念碑的にやってみようかなと思ったん です。僕みたいに、ポップスの世界で1番を取ってからジャズに来ている人はいませんか ら。そのレアな経験を生かして「自分で作ったもの」をジャズのスタンダードにする。そ のためにひと肌脱いでやろうかと。リスキーだけど、やりがいがあると思ったんですよね。
とにかく大変でした。両方、僕ですから (笑)。ポップスを作った僕は、そのままでベストなんだから、ああでもない、こうでもないって、やって欲しくないと。ジャズの僕は、 こうやると面白くなって、もっとジャズっぽくなるのに、とかね。その2人がどこでどう納得し合えるか……。5カ月くらい、アレンジしてもう1回やり直してということを繰り返していました。でも、共同プロデューサーに言われたんです。「大江千里のポップスって『格好悪いふられ方』でも『十人十色』でも、 イントロが流れてきたらそれだけで明快な世 界観があるんだから、それをそのままやればいいじゃない」って。目からポロリと鱗が落 ちました。好きに楽しくやってみたら、一気にでき始めた。
大江千里を、Senri Oeがやるっていうのは、 もうしばらくはないと思います。でも、すごく特異な経験でした。トラッド・ファッションの女の子を、ファッションチェックでファンキーに変えた、みたいな。自分で自分に再会させることで、音楽は結局つながっていて、 聴く人はジャンルなんか超えて、本当はもっと寛大な心で聴いているんだって改めて気付きました。だから今後は、ジャズのオールドスクールを追っかけるようなものではなく、 誰も作ったことのないような世界観で作りたい。それが僕にもできるかもしれないって、 ほんの少し見えかけて。今年はもう間髪入れずにトリオのアルバムを作ります。ドラムとベースとピアノの、ジャズ黄金のトリオです。
白人でも黒人でも、 ラテンでもない「Senri Jazz」
何歳でも全く関係ないと思うんです。チャレンジしたいっていう気持ちと、夢に向かって踏み出す力があれば。同じアメリカで頑張っている同志だから、元気で頑張ろうね!って、みんなに伝えたい。僕も頑張ってるからって。
このアメリカ社会で、白人でも黒人でもラテン人でもないアプローチをやっていけば、皆さんが楽しんでくれる「Senri Jazz」が、僕にも作れるかもしれない。その夢に向かっ て、叶うか叶わないかじゃなくて、踏み出しているこの1歩がもう、ひとつの夢のカタチな んです。
前回、シアトルに来た時(2016年11月19日のシアトル日系人会「ミュージカル・ブリッジ・コンサート」)に松茸をお土産でいただき、松茸が採れるんだ!とびっくり。シアトルについてはいろんな人から「行ったら 絶対住みたくなるよ〜」と話を聞いていました。1泊だけなのに、大きいスーパーマーケットに行って、オーガニック野菜とかワインとか地ビールとか、住んでいるような感覚で買ってしまって。結局友だちにあげました(笑)。でも、そうやって早くシアトルになじんで、パフォーマンスをやりたかったんです。今回はデルタ航空のパーティーでの演奏という形でしたが、絶対にまたシアトルに帰って来ます!
2月28日にシアトル総領事公邸で開催されたデルタ航空のシアトル―大阪直行便の就 航を祝うパーティーで、生演奏した大江さん。大阪出身の大江さんは「大阪へ帰郷する際には、ぜひこのシアトル経由便を使って帰りたい」と、流暢な英語で乾杯のあいさつを行い、ア メリカ国歌などを演奏。大江さんの熱いジャズの音色に会場中が酔いしれた。(取材・文:室橋美佐)