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ホームレス支援ボランティア 田村美紀さん

シアトルでは近年ホームレスが急増し、2015年に市長が緊急事態宣言を出すほど問題が深刻化。そんな状況で、ボランティアとしてホームレス支援を続ける一人の日本人女性がいる。問題を解決するために必要なのは「人と人との関係を築くこと」と田村美紀さん。人と関わることで自身も困難から立ち直った体験談を交え、ホームレス問題について語ってくれた。

取材・文:渡辺菜穂子

ホームレス支援ボランティア
田村 美紀さん
Miki Tamura(田村美紀)■東京生まれ。高校時代に交換留学を経験したことで渡米を決意。現在はIT専門家として働くかたわら、シアトルのホームレス支援団体「Seattle’s Union Gospel Mission」などの活動に参加している。シアトル市認定のホームレスキャンプ 「Camp Second Chance」では、設立初期からのボランティア。

「ホームレスは怖い」という偏見

現在、ホームレス支援のためのいろいろな活動にボランティアとして参加しています。シアトルのホームレス支援団体「Seattle’s Union Gospel Mission」主催のサーチ・アンド・レスキューでは、毛布や食べ物などを積んだワゴンで街を巡り、必要とされるものを配ります。これは深夜1時ぐらいまでかかり、大変な重労働です。

▲ Union Gospel Missionのサーチアンドレスキュー 毛布や食べ物を積んだワゴンで街を巡るボランティア

同団体のディナー配膳ボランティアや、社会復帰した人たちのランニングチー ムにも参加しています。いずれの場合も、とにかくみんなに声をかけ、うつむい ている人がいたら積極的に話しかけて顔を上げてもらうようにしています。 支援活動をする上で、危ない目にあったこともあります。薬中毒の人に追いかけられたことも。その時は本当に怖い思いをしましたが、よく考えると、ホー ムレスではない人たちの中にも殺人犯や薬中毒の人が大勢いるんです。決し て「ホームレスだから怖い」のではありません。私にできる対策として、護身用 に柔術を学びました。今は追いかけられても平気です。むしろ「かかってこい」 と思います(笑) 。

また、個人的にホームレスのコミュニティーにも足を運んでいます。ウエストシアトルの「キャンプ・セカンド・チャンス」では、ホームレス・キャンプの存在に反対する近隣住民の理解を得るために、フェイスブックのページを立ち上 げ、キャンプの写真や住んでいる人たちを紹介しています。反対する理由は、 ホームレスのことをよく知らないから「怖い」と感じるのだと思うので。

人間関係を築く支援活動

レジーさんという50代のアフリカ系アメリカ人のおじさんがいます。30 年ほど刑務所にいて、出所しても仕事はなく、公園に住んでドラッグを使い出 していました。初めて会った時に「何か必要なものはある?」と尋ねると、「出 ていけ!」と怒鳴られました。

でも私は、彼の気持ちが分かります。心が傷ついている人は、かたくなに自分を防御してしまうんです。これ以上傷つけられないように。だからその日は「分かった。来週また来るね」とだけ言って帰りました。次の週にまた訪れて声をかけたら、テントから出て来てくれて、その次の週はサンドイッチを食 べてくれて、そのうちに「手袋が欲しい」など具体的な要求をしてくれるように なりました。だんだん会話も増えて1年以上かけて人間関係を築くと、レジーさんが変わってきました。ドラッグから抜け出すためのリハビリに行き始め、現在は社会復帰して低所得者用のアパートに住んでいます。

ホームレス問題を解決するために援助物資が足りないという声もありますが、シアトルには非営利活動を行う団体がたくさんあり、私の感覚では足りていると思います。問題は、ホームレスの人たち自身に「助けが必要だ」という自覚がないこと。その自覚の扉を開けられるのが、人間関係です。「自分なんてどうでもいい」と思っていた人 が、まず誰かから名前で呼ばれ、他人を名前で呼ぶように なって、自分は一人ではないと思うことができれば、この状況をなんとかしないといけないと考えるようになる。 そこで初めて、人の助けを借りて立ち直ろうという気持ちになれるのです。

人間関係を築くには、人対人の対等な付き合いが必要で す。私がボランティアをしていると、ホームレスの人から 「あなた、なにじん?」と聞かれることが多いのですが、そんなときは大抵「当ててみて。1回間違えたら5ドルもらうよ」と返します。「中国人」「違う、はい5ドル」、「韓国人」「違う、はい10ドル」。すると、みんなゲラゲラ笑います。「ホームレスだからお金ないだろう」ではなく、対等な人間同士として、冗談も言えるような関係性が大切です 。

▲ ニコールとの再会20代後半で薬中毒のホームレスだった彼女が更生してボ ランティアをしていた

死にかけて、人の優しさを知った

私がこの活動を始めたきっかけは今から6年前、事故にあったことです。ロッククライミングで7.5メートルの高さから落ち、大けがをしました。1年ほど体がほとんど動 かない状態になってしまったのです。それまでの私は、フ ルマラソンやハイキング、スノーボードで日々の悩みを発 散していました。育った環境の影響で、もともと精神的に不安定な部分があったのですが、常に体を動かして忙しくすることで、自分自身の問題から目をそらしていたのです。 それが、事故をきっかけに一気にうつになりました。精神科医からうつ病と不安障害と診断され、二度自殺を図るま でに至りました。

そんな状態の私が救われたのは、友人や近所のコミュニ ティーのおかげです。当時、毎日のように誰かが私を訪ね てくれました。家に引きこもって人に会いたくなかった私が「帰れ」と言ってもそばにいてくれました。また、全然知 らない人にも優しくしてもらいました。外をよろよろ歩い ていると通りすがりの人が私に声をかけてコーヒーを買ってくれたり、スーパーでうつむいて買い物していた私と一 緒にご飯を食べてくれたり。それまでの私は他人をあまり信じない人間でしたが、人の優しさをありがたく思うようになりました。

体が動くようになり、私を救ってくれたコミュニティー にお返しをしたいと考えていた時、近所の「テント・シ ティ」と呼ばれるホームレス居住地をめぐり、地域住民から立ち退き要求が出て騒動になっていました。そんなある日、職場のミーティングルームに食べ物がたくさん余っ ていたので、それを持ってテント・シティに行くことを思 いつきました。

最初は恐れも戸惑いもありました。しかし、段ボール箱いっぱいの食べ物を持って遠慮がちに足を踏み入れると、 思いがけないほどの大歓迎を受けたのです。それから頻繁に通うようになり、多くのことを知りました。昔はホーム レスの人々のことを「援助に頼らず自分で稼ぐべき」と思っていたのですが、実際はほとんどの人が仕事をしています。 ただ、交通違反金の未払いなどちょっとしたミスをしたり、 盗難やDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害にあったりで、家に住めなくなっただけなのです。

私たちはホームレスと紙一重

▲ ホームレスキャンプキャンプセカンドチャンスにて

薬中毒の人を見ると、昔の私と同じだと思います。私が常に体を動かし忙しくしていたように、ドラッグを使って、自分の問題を見ないようにしているのだと思います。アルコールやショッピングに依存する人も同じです。「We are all one paycheck away from being homeless(たった1 回分でも給料が出なければ私たちもホームレス)」という言葉があります。ホームレスは決して特殊な存在ではなく、明日誰がホームレスになってもおかしくありません。

ホームレス支援を通して、私自身の考え方も変わりました。以前は家を買ったら「もっと大きな家が欲しい」、車を買った ら「もっといい車が欲しい」と思っていました。しかし、ホー ムレスの人々は、家があってありがたい、蛇口から水が出てありがたいと考えます。その影響で私も今は朝目覚めると「今日も生きている」と、ありがたく感じるようになりました。こ れまで見えていなかった幸せが見えてきたのです。

誰かを助けたいと思って始めたボランティアですが、同時に私も支えられていることに気が付きました。仕事などで辛いことがあった日も、キャンプに行けばみんなが慰めてくれます。

 

渡辺 菜穂子
北米シアトル在住のライター/編集者。現在はフリーランスとして、シアトル情報全般に関わる取材&執筆を引き受けている。得意分野はアート&エンターテインメント、人物インタビュー、異文化理解。元『ソイソース』編集部員。ピアノ、さる、旅、日本語の文法分析が好き。