子どもとティーンのこころ育て
アメリカで直面しやすい子どもとティーンの「心の問題」を心理カウンセラー(MA, MHP, LMHC)の長野弘子先生(About – Lifeful Counseling)が、最新の学術データや心理療法を紹介しながら解決へと導きます。
バイリンガル児が陥る「アイデンティティーの危機」とは
多様な文化や価値観が共存するアメリカ。そこで暮らすティーンエイジャーにとって、「自分はどんな人間なのか、どんな人生を歩みたいのか」といったアイデンティティーをめぐる問いは、とても切実なものです。「自分は日本人でもアメリカ人でもない」と感じて、自分の存在意義に不安感をつのらせる日系アメリカ人やハーフの子どもは少なくありません。アイデンティティーの概念を提唱した発達心理学者、エリック・エリクソン氏によると、アイデンティティーとは「これが私なんだ」と、心の底から自分らしさを実感する感覚であり、自分と相対する世界に対して境界線を引くことで確立するとされています。
特に12歳から18歳までの青年期は、アイデンティティーを確立するために大切な時期。家族や社会からの要求と自分の欲求をうまくすり合わせ、アイデンティティーを統合するのは大変な作業です。クリニックを訪れる子どもの多くも、言葉の壁や人種格差、宗教や価値観、性的指向の違いなどによってアイデンティティーの危機に直面し、深刻な劣等感や罪悪感に悩んでいます。この時期にアイデンティティーの確立がうまくいかないと、役割の混乱が生じて、「自分がどんな人間で、何をしたいのかわからない」というアイデンティティーの危機に陥ります。エリクソン氏によると、こうした状態は、対人不安、無気力、回避行動、問題行動につながり、社会思想や宗教に全く無関心か、その逆に狂信者を生み出すことも。
アイデンティティーとは切っても切れない関係にあるのが、言葉です。複数の言語環境で育つ子どもが陥りやすいのが、いずれの言語も年齢レベルに達しない「セミリンガル」。特に思春期以降は、認知学術的言語能力(CALP)と呼ばれる抽象的、論理的思考に見合う言語能力が発達しますが、セミリンガルの子どもたちはCALPが未発達に。学習面だけではなく精神面でも自分の考えや感情を的確に表現することができず、アイデンティティーの危機を招きやすくなります。まずは、英語か日本語、どちらでも良いので、第1言語をマスターしてCALPを身に付けること。英語でCALPを身に付け、日本語は日本文化を理解するためという割り切りも必要です。
また、文化によってアイデンティティーの形もさまざま。エリクソン氏のアイデンティティーの概念自体が欧米の自我モデルであるため、日本を含めた異文化圏の子ども全てに当てはまるとは限りません。心理学者の河合隼雄氏は、日本人のアイデンティティーは欧米人の個人主義に基づくものとは異なり、他者との関係性や全体としての調和の中で形成されていくとし、その日本的な心の世界を「母性優位」と位置付けました。彼は「母性はすべてのものを全体として包みこむ機能をもつのに対して、父性は物事を切断し分離してゆく機能をもっている」(『中空構造日本の深層』)と述べています。日本的な視点で父性優位のアメリカ人を見ると「自己中心的で空気が読めない人」、その逆にアメリカ人が日本人を見ると「自分がなく付和雷同的な人」に見えてしまいます。こうした主観的な解釈は、親が異文化に対して不寛容だといっそう強まるため、それぞれの文化の長所を積極的に見つける姿勢が大切です。
さらに、個人だけではなく共同体も全体としてのアイデンティティーを有しています。政治学者のフランシス・フクヤマ氏は、保守派とリベラル派の闘争は、イデオロギー闘争ではなく白人とマイノリティーのアイデンティティー闘争であると述べています。自分の存在意義に不安感をつのらせる子どもたちは、日本とアメリカ、どちらの国民的アイデンティティーにも自分が足りないという感覚を持っています。
コップに水が半分入っているときに、水に注目するか空っぽの部分に注目するかで意味合いが変わるように、自分は日本人でもありアメリカ人でもあり、複数の文化や価値観を持つことは逆に素晴らしいことだと子どもに伝えていくことが必要でしょう。親が先回りをし過ぎることなく、子どもが何をしたいかを尊重しながら多様な文化や価値観を包み込む姿勢を持ちたいですね。