コロナ禍でシアトル留学生が見た現実
春休みの過ごし方をガラッと変えた突然の自宅待機命令
留学生活を始めて約半年が経った3月15日、ワシントン州で不要不急の外出を制限する規制について発表された。大学の授業も終盤に差しかかり、いちばん忙しくなる学期末試験の時期だった。全ての授業が急きょオンラインに切り替えられた。
イレギュラー対応の迅速さに感心したのを覚えている。ようやく怒濤のテスト週間が落ち着いた頃には、アメリカが中国、イタリアを抜き、感染者数最多となっていた。
3月23日には州内で自宅待機命令が出され、春のクオーターも全てオンライン授業となった。アメリカにいてもできることは限られる。この状態がいつまで続くか不透明な状況下で、帰国を選ぶ留学生が多いのもうなずける。スーパーなどでアジア人に対する差別もある今、残る選択するほうが覚悟のいることかもしれない。私自身が差別にあったわけではないが、買い物中、白人男性が中国人店員に向かって声を荒げている場面を目にしたことがある。明日はわが身であると思うと、食料を買いに行くことすら億劫に感じる。アジア系コミュニティーが発達したシアトルでさえ起こっているのだから、アジア人が少ない地域に行けば、より顕著に人種差別があるだろう。そうした地域の留学生は、どのような思いで春休みを過ごしただろうか。
自分たちの身にも起こり得ることだと日本人にわかって欲しい
このコロナ禍を経験していちばん身に染みたのは、日本とアメリカでの「意識」の違いである。外出自粛により、家付近の商店街はすっかり活気がなくなってしまった。スーパーの前には以前に増してホームレスの人々の姿がある。そんな中、久しぶりに日本の友人に連絡を取った。日本はちょうど春分の日の3連休で、多くの人々が国内旅行に出かけ、飲食店は普段通りのにぎわいがあるらしい。驚いたことに、「コロナ疲れ」という言葉が広まり、ほとんどの日本人が「コロナは終わった」と感じていたというのだ。翌週になっても、「週末のみ外出自粛」という提示からか、平日には大勢が花見に訪れ、百貨店もいっそう混雑していたそう。どうしてここまでの違いが生まれるのだろうか。若者だけでなく、多くの日本人が「海の向こう側で起きていること」と感じているように思えた。4月16日には、全都道府県に非常事態宣言が出されたが遅きに失した感は否めない。アメリカや諸外国でのロックダウン時点で、ひとりひとりが真剣に向き合っていたら、ここまで感染者は増えなかったのではないか。
このパンデミックが私たちに教えてくれたこと
新型コロナウイルスによるこの悲劇が、日本人にとって海外報道の大切さに気付くきっかけとなれば、今後の日本の転機につながるのではないか。将来、国際報道に携わる仕事をしたいと考えている筆者にとっても、今回の危機は日本人の国際報道に対する意識について考える貴重な機会となった。留学生の人数も他のアジア人と比べて圧倒的に少なく、政治に無関心であることで世界的に有名な日本人が、国際情勢に目を向けるようになれば、この困難を乗り越えた先に見える景色が変わってくるのではないのだろうか。