人によって留学の目的はさまざまだろう。私の場合、日本とアメリカの違いを知ることだった。昨年9月に渡米後、シアトルの大学でビジネスを学びながら寮で下宿生活。奮闘する中で多くの違いを感じると共に、乗り越えるのに苦労した。新型コロナの影響で一時帰国を強いられたが、短い期間でも日本にいては知り得なかった違いを肌で感じられた。この経験は私の中で大きな財産になっている。
まず、教育が大きく違う。アメリカの大学に通ってみて驚いたのは、授業で学んだ知識や情報を自ら実践する機会が多いことだ。たとえば、私は日本の大学でもシアトルの大学でも、中国語の授業を履修していた。日本では文法・語彙を丁寧に覚えられるが、テストでは教科書に載っている知識をどれだけ覚えてきたかを問われるように思う。アメリカでは授業で習った文法を駆使して自分で例文を考え、語彙も自分で活用することが求められる。具体的には、無音の動画に自分で考えたセリフを吹き込む課題。文法や語彙の復習だけではなく、発音を練習する機会にもなり、より実践的な能力を身に付けることができたと感じた。
また、アメリカでの学習は、正解が1つとは限らない問いに対して、自分の答えを導き出すものが多いようだ。日本の授業が座学で理論を学び、知識として蓄えさせるのに比べて、アメリカの授業はYes/Noを判断させられる教育ではないように思う。これは、「違っていることが当たり前」であり、違いを唱えることが良しとされている文化が根付いている多民族国家であることと関係するのかもしれない。
モノの種類の豊富さも違う。スーパーに行くと、目にしたことのないものだらけで衝撃を受ける。牛乳ひとつ取っても、脂肪分が0%、1%、2%、さらにホール・ミルクと呼ばれる普通の牛乳、生クリームと牛乳が半分ずつ混ざったハーフ&ハーフなど、平均5種類の牛乳がどのスーパーにも用意されている。ほかにもシリアルは15種類ほど、コーヒーも20種類ほどといったように、個々のライフスタイルの多様な需要に合わせた商品展開がされている。日本では何かをこれだけの種類に区別することに対して、あまりニーズがないのではなかろうか。これもやはり、違いを主張する意識が人々の根底に存在するか否かに関係しているように思う。