10年前からアーミッシュ文化について調べている筆者が、2度にわたってペンシルヴァニア州、オハイオ州のアーミッシュ・コミュニティーで暮らした体験を紹介。
寄稿・写真 吉田麻葉
■アーミッシュの少女が犠牲になった銃乱射事件から10年
2006年10月2日、ペンシルヴァニア州にあるアーミッシュの学校が銃乱射を起こした犯人の標的になりました。犯人はアーミッシュの女生徒だけを学校に残し立てこもり、銃を発砲後に自殺。5人の少女が亡くなり、5人が重軽傷という悲惨な事件となりました。
私は去年、事件が起きた学校の跡地を訪れました。建物はすでに取り壊されており、広いさら地には5本の楓の木が風に揺れていました。この木は亡くなった5人の少女のメモリアルツリーとのこと。犯人に銃を向けられたとき、少女のうちの一人が「私から先に撃って!」と身を乗り出したそうです。彼女は年長の学年で、年下の生徒を守ろうと自ら主張し射殺されました。それを見た少女の妹も「次は私を!」と名乗りをあげました。極限の状態の中で自らを犠牲にすることを厭わない勇気のある行動、私にはきっとできないと思います。彼女達の尊い命が奪われたこと、悲しくて仕方ありません。
■犯人とその遺族を許したアーミッシュ
事件後、被害に遭ったアーミッシュの家族をはじめ、コミュニティのメンバー達が加害者の遺族に許しを表明したことが世界的に報道されました。なぜアーミッシュは加害者とその家族達を許すことができたのか、という論議も各所で起こり、アーミッシュの信仰心が改めて注目されました。訴訟や復讐、報復が当たり前の世の中で、慈悲と許しを体現したアーミッシュの行動に私も驚きました。
■事件後に建てられた新しい学校
事件が起きた学校は取り壊されましたが、近くに「ニューホープ」と名付けられた新しい学校が建てられました。
アーミッシュの学校には電話もなければ警備員がいるわけでもありません。近所の子どもたちと独身の若い女性の先生のみ。保護者がいつでも教室を見学できるように、門もなければ教室のドアも開いています。言ってみれば侵入者に対して非常に無防備。事件後、電話を設置するべきだとか、警備員を雇うべきだとか、頑丈な門を設置しようなどの議論も起きたそう。でも、ガードを厳重にするということは、敵意や猜疑心を周囲に表すということ。彼らは今までと同じ態勢の学校を、大通りから少し奥まったところに設置しただけでした。
事件から10年がたち、アーミッシュが犯人や遺族を「許す」というかたちで終結したように見えるこの事件。でも、生き残った少女たちは今でも事件のショックによるトラウマに苦しんでおり、子どもを奪われた家族の苦しみは癒えません。この事件が忘れ去られないように、また犠牲になった少女の冥福を祈りつつ、記事として残したいと思います。
[麻葉アーミッシュの世界]