どんな建物にも、それぞれに物語がある。有名ランドマークからあまり知られていない歴史的ビルまで、それぞれ個性的なシアトル界隈の建物のストーリーを追いかけてみたい。筆者は専門家ではなく、ただの建てものファンなので、建築のプロが案内してくれるSeattle Architecture Foundation(シアトル建築協会/SAF)にご協力をお願いした。同協会では定期的にビル鑑賞ツアーを催行し、気になるビルの「そうだったのか!」を楽しく紹介している。
第一回目の注目ビルは、ダウンタウンの真ん中にあるレーニア・タワー。まわりを高層ビルが取り巻いているのであまり目立たないが、これはちょっとほかに例を見ないくらいヘンな形のビルだ。上のほうはごく真っ当に四角いビルなのに、足もとだけ一本足のキノコ的な形状。なぜ?
設計したのは日系二世のミノル・ヤマサキ。1912年生まれ、ガーフィールド高校からワシントン大学に進んだ生粋のシアトル人だ。第二次大戦前の白人社会の中で大きな設計事務所の主任として頭角を表したのだからよほど優秀な人だったのに違いない。が、現在では不運な建築家として知られている。
彼の作品中もっとも有名なのは、なんといってもニューヨークの世界貿易センタービル。米国を代表する建築物として国際都市のスカイラインに君臨したツインタワーだったが、911の同時テロの標的となり、文字通り粉微塵になってしまった。
もう一つの代表作は1950年代に作られたセントルイスの集合住宅「プルーイット・アイゴー」。低所得者に良い住環境を提供することを目指したプロジェクトだったが見事に失敗、住宅は荒廃して犯罪の温床となり、完成後わずか16年で取り壊された。予算の削減によって、当初予定されていた公園などのコミュニティ用スペースを作らなかったことなどが敗因とされ、のちの都市計画の反面教師となった。建築物にストイックなまでの合理性を追求するモダニズムの論理が「理屈どおりにいかないこともあるよね」と、ひとまず見直されるきっかけになった事件だった。
モダニズムを体現する建築家だったヤマサキがそのすぐ後に手がけ、1977年に完成したレーニア・タワーのこの思い切った形状は、ビルの足元である地上部分に光と風をたくさん通すために考案された形状であり、同時にコンクリートの力強い構造を強調する。77年はモダニズムの反動の「ポストモダン」という考え方が登場した時代でもある。レーニア・タワーのキノコ的形状には、「その次」を模索していたモダニズムの「自分探し」的な内省が見えるような気もする。
[たてもの物語]