最近のニュースで日本人として大いに気になったのは、テニスの全米オープン。新星、大坂なおみ選手が、ベテランのセリーナ・ウィリアムズ選手に圧勝と聞いて、初めて大坂選手の存在を知った。10月16日に21歳となった彼女は2001年から米国に住んだとはいえ、両選手の言動を見る限り、日米社会・常識の両極端な一面が露になったかのように思える出来事だった。
見物席からコーチがジェスチャーで示唆したこと、怒ってラケットを地面にたたきつけて壊したこと、審判を罵倒したこと、これらの違反行為で1ゲームの罰則を科せられたウィリアムズ選手。「自分はコーチを受けていない」、「男性選手なら審判に暴言を吐いても罰せられないのに性差別だ」と、執拗に審判に抗議し続ける。一見、スター選手にありがちな傲慢な態度だが、スクリーンに映された彼女は真剣そのもので、情熱や誠実ささえ感じられるのだ。
ウィリアムズ選手は長い間、人種差別、アンチ・ドーピング・テスト最多回数、性差別などを受けたとして抗議し続けてきたという。今回の審判にも、1ゲームを奪った泥棒だと食ってかかり、「謝れ!」としつこく迫る。このような態度は、物を大切に扱い、感情を表に出さず、目上の人間に盾突かないよう教えられ(洗脳され?)てきた日本人の多くにとっては見るに耐えがたい。彼女のコーチもまた「大坂のコーチもジェスチャーをしていたのに不公平」と、人がしたから自分も、という大人げない態度なのである。
アメリカ社会を生き抜くには、彼らのように自分の意見を貫くべきなのか。それが許されるどころか、称賛さえされるのか。客席でもSNSでも、彼女に同情ないしは同調する人たちが大勢いたようだ。勝敗が決まったらブーイングも。「勝った大坂選手に失礼じゃないの?」と、日本人はさらに驚く。ギャラリーのほとんどが女王のウィリアムズ選手を応援するのも、弱者を励ます傾向のある日本社会の常識とは違うと感じた。
このような激しいやり取りが続いたにもかかわらず、感情を表に出さず、淡々と勝負に集中し続けた大坂選手。勝った瞬間も顔を隠すように、すぐ日除けを下げる。そんな彼女を見て、「やはり日本人」と思ったのは私だけだろうか。
でも、試合後のブーイングに対し、ウィリアムズ選手が「もうやめよう」と呼びかけ、大坂選手を笑顔で讃えたことで、わが心中のもやもやは吹っ切れた。素早い変わり様だが、ウィリアムズ選手に寛大さや礼儀正しさがあったことがわかり、ホッとしたのだった。