晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.19
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第19回 シティー・ポップが今なぜ人気?
1年くらい前のことですが、シアトルに住むアメリカ人の友人が、菊池桃子のレコードを手に入れたと言って感想を聞かせてくれました。シアトルのレコード店で手に入れたとか。中古レコードは、海外でも人気のある日本人アーティストや、おそらく日系人の方たちを経由して持ち込まれた古い演歌をよく見かけますが、菊池桃子とは珍しい。
しかし、すぐにピンと来ました。「シティー・ポップ」人気の影響かな、と。日本の70〜80年代のポップ・ミュージックが、海外でジャパニーズ・シティー・ポップと呼ばれ、人気が出始めたのは数年前のことです。2016年、主にインターネットで活動するNight Tempoという韓国のDJ/音楽プロデューサーが竹内まりやの1984年の楽曲、「プラスティック・ラブ」をアレンジしてYouTubeに投稿したのがブームのきっかけと言われています。シティー・ポップの代表的なアーティストはほかに、杏里や山下達郎、大瀧詠一、荒井由実などが挙げられます。インターネットの普及により、40年近く前の日本の音楽が、海外の聴衆に広く受け入れられたのは興味深いですね。
シティー・ポップ特有の、都会的で洋楽風だけれども日本語で歌われているという雰囲気が、海外の聴衆には斬新に聴こえたのでしょう。ある学者が面白いことを言っています。インターネットや音楽ストリーミング・サービスのおかげで古い音楽がいつでも聴けるようになり、ノスタルジーを感じることがなくなってきた現代、聴いたことがないはずなのに懐かしいような感覚を覚える、新しい音楽の感じ方が生まれているとか。まさにシティー・ポップの流行と重なるような説です。
シティー・ポップの「シティー」は、一体どこを指しているのでしょう。個人的には東京・渋谷をイメージするのがしっくり来る気がします。社会学者の吉見俊哉によると、日本の文化は盛り場の移り変わりと共に変遷してきたと考えることができるそう。明治以降、東京では戦前に浅草から銀座へ、戦後は60年代に新宿、そして70年代に渋谷へと文化の中心地が移り変わっています。
渋谷パルコが開業したのは1973年。渋谷は70年代から80年代にかけて、ファッションだけではなく、演劇、美術、音楽、映画など多方面から文化を発信していました。シティー・ポップは大雑把に言えば、渋谷が文化の中心にあった時代の空気感を反映しているのかもしれません。
インターネットのおかげで音楽を通して国境を越え、文化リバイバルが起きています。なんとも面白い時代になりました。