晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.16
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第16回 夢は夜ひらく
藤 圭子という歌手を知っていますか? 1969年に演歌アイドルとしてデビューし、一躍人気歌手となりました。パンツスーツに白いギターを抱えて歌う姿は、当時としてはとても新鮮で、特に地方から集団就職で都会にやって来た若年層の圧倒的な支持を得ました。
圭子自身も東北出身。旅芸人の両親と共に苦労した少女時代が注目を浴び、ハスキーボイスで都会の夜を歌う彼女の歌唱スタイルは「怨み節」などとも言われました。現在の演歌のイメージとは程遠いですが、圭子の歌は若者の反骨精神を代弁していました。
彼女の代表曲のひとつに、「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)があります。「赤く咲くのはけしの花/白く咲くのは百合の花/どう咲きゃいいのさこの私/夢は夜ひらく」の歌い出しが特に有名で、当時19歳だった圭子が、夜の街で出会った男性たちや自分の失敗を振り返って自嘲しつつ、せめて夜だけはこんな私も夢見ることができる、と歌って大ヒットとなりました。
実はこの曲はいくつもバリエーションがあり、多くの歌手に歌われています。原曲は、作曲家の曽根幸明が東京少年鑑別所収監時に聞いた曲を元に作ったと伝わります。発表当時のタイトルは「ひとりぽっちの唄」(1966年)で、鑑別所の若者の孤独を歌ったものでしたが、ヒットには至りませんでした。しかし同年、歌詞とタイトルを変更して園 まりが「夢は夜ひらく」として歌うと、これが大人気に。園 まりバージョンでは、思いを寄せる男性を待ちわびる女心が歌われています。
ほかにも、浅川マキの歌った「港の彼岸花」(1971年)は特に聴き比べる価値があると思います。歌い始めは「白い花なら百合の花/黄色い花なら菊の花/悲しい恋なら何の花/真っ赤な港の彼岸花」と、「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞とよく似ています。別れてしまった相手を思う切なさと故郷を思いこがれる心情などを織り交ぜ、何ともわびしい複雑な世界観を表現した歌の作詞は浅川マキ本人です。レコードの発売は後発ですが、ライブなどではずっと前から歌われていたとも言われています。どちらが先かは今となっては特定が難しいのですが、似ているようだけれど微妙に違う作品として展開されているのが興味深いところ。夜が長くなったこれからの季節、これらの曲に耳を傾け、違いを感じ取ってみてはいかがでしょうか?