晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.24
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第24回 古関裕而とオリンピック・マーチ
約3年ぶりに日本へ一時帰国しました。3年前と今日で東京の景色を大きく塗り替えたのは、やはり新型コロナウイルスのパンデミック。さらにもうひとつ、大イベントとなった2021年の東京五輪でしょう。ちょうど新国立競技場に立ち寄る機会があり、パンデミックに翻弄された東京五輪について思いを馳せました。
スポーツと音楽は切っても切れない関係にあります。2020年に放送されたNHK連続テレビ小説「エール」は福島県出身の作曲家、古関裕而(こせきゆうじ)の人生を描き、人気を博しました。1909年生まれの古関は1964年の東京五輪のために行進曲を作り、その作品は昨年の東京五輪でも使用されました。
古関は音楽好きの父親の元で育ち、小学校の担任教師も音楽の指導に熱心だったことから、子どもの頃から作曲にいそしんでいたとか。1923年、14歳の時に福島のハーモニカバンドに入団し、作曲や指揮を担当しました。この時にヨーロッパやロシアの近代音楽と出合い、衝撃を受けたことが後のクラシック音楽を基盤とした格式の高い古関の作風に大きく影響していると言われています。
1930年、コロムビアと専属契約。戦時中は多くの軍歌を作曲し、戦地に赴く若き戦士たちを鼓舞激励する形で戦争に協力しています。当時の音楽家の中には、日本軍の帝国主義に一切加担しない者、服部良一のように中国へ慰安団として送られたことがきっかけで、その異国情緒を表現する者、古関のように日本軍の視点で音楽を発表する者に大きく分かれます。たとえば、ジャズの素養のあった服部の作風に比べ、古関の作風はもともと行進曲や軍歌に応用しやすかったなど、音楽的な事情もあったかもしれません。古関は自身の戦争加担について苦悩があったとも伝えられていますが、そうした実績が戦後、スポーツの応援歌へと生かされていきます。
誰もが知る阪神タイガースの団歌「六甲おろし」ですが、実は古関の戦前の作品で、そのあと読売巨人軍の初代団歌も発表。戦後になって、中日ドラゴンズや巨人軍の現行版などの団歌を作曲しています。スポーツの応援歌は単純なリズムや明快なメロディーで歌いやすく、一緒に歌うことで士気を高める目的もあるでしょう。古関は1948年には全国高校野球の大会歌として「栄光は君に輝く」を発表します。そして1964年に「オリンピック・マーチ」を作曲するのです。歌詞こそありませんが、明るく品格を感じるメロディーで、古関作品の傑作のひとつとなりました。
国立競技場を一周しながら、東京を舞台に繰り広げられた熱戦を思い起こす中、いつの間にか私の耳にも「オリンピック・マーチ」がよみがえっていました。