晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.1
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第1回 不死鳥・美空ひばり
2015年の夏、早稲田大学で行われたシカゴ大学教授のマイケル・ボーダッシュ氏の講演会に行く機会がありました。その講演会で、ボーダッシュ氏が運良く入手したという、1950年に美空ひばりがカリフォルニア州サクラメントで公演した際の貴重な音源を聴くことができました。ちなみに、この全米ツアーで、ひばりはシアトルとスポケーンにも立ち寄っています。
私は、この音源を聴いて、なんだか不思議な気分になったのを覚えています。1950年のひばりは、まだ演歌の女王ではありませんでした。むしろ、アメリカ的な歌を歌う天才少女として人気を獲得しつつある時です。そのひばりがアメリカ公演に出かけて現地の日本人の心を癒し、その音源が時を経て、アメリカより日本に持ち込まれるという、彼女をめぐる日本とアメリカの妙な縁を感じたのです。
ひばりは、演歌がジャンルとして誕生する以前の1940年代に若干9歳でデビューしています。デビューした頃のひばりは、すでに人気歌手となっていた笠置シヅ子を追うように、ブギウギ・シンガーとして活躍していました。演歌歌手へと転向するのは1960年代の後半、ちょうど演歌というジャンルが出来上がる頃です。典型的な旋律や着物姿で涙ぐんで歌う姿などから、演歌は古いジャンルだと思われがちですが、実は比較的新しいジャンルです。戦後の日本が目まぐるしい復興を遂げ、アメリカ文化を吸収し、1964年の東京五輪開催を経て、国内外に「日本らしさ」を意識し始める頃、故郷や日本独自の文化を讃える動きの一環として「日本の心を歌う演歌」が作り上げられていきます。それと同時に、アメリカ的だったはずのひばりは、作曲家の古賀政男と組んで、演歌の花道をのし上がっていきます。そして、いつしか、演歌の女王の位置を不動のものにしていくのです。
2019年末のNHK紅白歌合戦で、ひばりがAI技術で再現され、新曲「あれから」を披露して話題になりました。ステージに立つその姿を懐かしいと喜ぶ人もいれば、倫理的に良くないと思う人もいたようです。肝心のパフォーマンスは、彼女の独特の歌声が見事によみがえっていました。没後30年経っても紅白歌合戦という大舞台に登場してしまう、ひばりの歌手としての存在感はとてつもないものだなと感心しつつも、生前は歌で海を越え、没後も時を越えてよみがえる、まさに不死鳥のようだと畏怖の念すら覚えます。