晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
浪花節だよ人生は
年の暮れに近づくと、日本の正月までのお祭りムードが懐かしく思い出されます。10 年前に日本に住んでいた頃は、忘年会に新年会、二次会のカラオケが常でしたが、最近はどうなのでしょう。
宴会曲と言えば「浪花節だよ人生は」が挙げられます。細川たかしの代表曲ですが、実は1976年に、小野由紀子という女性歌手の歌唱によるシングルB面曲としてリリースされたのが最初でした。なるほど、サビの「浪花節だよ、女の、女の人生は」にも合点がいきます。浪花節とは浪曲のことで、三味線を伴奏にリズミカルな節回しで歌うように語る、語り物芸能のひとつ。その起源は江戸末期までさかのぼることができます。
細川による1984 年のカバーの前には、東京・浅草出身の浪曲師、2代目木村友衛が歌っています。木村が作詞家の藤田まさとに直談判して発売にこぎ着けたとか。地道なキャンペーン活動により徐々に人気を博し、細川の大ヒットにつながりました。同じ1984年にはなんと13社ものレコード会社から、さまざまなアーティストによるカバー曲が発売されました。
私が宴会曲と思い込んでいたのは、冒頭の歌詞に「飲めと言われて素直に飲んだ」とあるから。続きを聴けば、言われるまま、誘われるままに従ったゆえに人生を振り回されてしまった女性の嘆きが伝わってきます。タイトルの浪花節は、「人の情けにつかまりながら 折れた情けの枝で死ぬ」のドラマチックな一節に集約されています。
浪花節は東京の貧民街で発祥し、ほかの語り物芸能の影響を受けながら明治時代に寄席芸として全国的に発展。「忠臣蔵」など義理人情に訴える演目が、昭和初期のレコードやラジオの普及に伴い庶民の心を捉え、戦時中は愛国浪曲なるものも作られました。テレビの登場により1970年代頃から衰退の一途をたどります。
では、なぜ1984年になって歌謡曲の「浪花節だよ人生は」にスポットライトが当たったのでしょうか。当時は、1983年の任天堂のファミコン発売、東京ディズニーランド開園と、バブル前の新しい時代の予感が漂い始めた頃。アメリカの文芸批評家は、「人は激しい時代の変化に際して、よりノスタルジーを求める」と言っています。浪花節の義理人情の世界観とほろ苦い人生の語り節に、ノスタルジーを聴き取ったのかもしれませんね。