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沖縄の唄〜晴歌雨聴〜ニッポンの歌をさがして

晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.14

日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。

第14回 沖縄の唄

2年前の夏、沖縄に住む友人がシアトルを訪ねてきたことがあります。彼女は、沖縄民謡を中心に歌う音楽グループの歌手として活躍していた経験もある素晴らしい美声の持ち主です。また、巫女として神事に仕えていたと聞き、彼女の滞在中にアメリカ本土にたった3つしかない日本の神社のひとつ、シアトル郊外のグラナイトフォールズにあるアメリカ椿大神社に連れて行こうと思い付きました。

訪れたのはちょうど、夏越の大祓の日でした。おはらいの行事に参加したあと、友人が突然言い出しました。「あの、私、こちらの神社でぜひとも歌を奉納したいんだけど」。神楽のように、歌や舞などの芸術パフォーマンスを神前に奉納することがあるのは知っていました。見知らぬ参拝客でも気安く奉納させてもらえるものだろうかと心配でしたが、いちかばちか神社の方に聞いてみたところ快く受け入れてもらえ、人も集まり、あれよあれよと奉納の儀式が始まりました。

アメリカ椿大神社は芸道・芸能の神、天鈿女命を祭神としているとのことなので、スムーズに事が運んだのはそのご縁もあったのかもしれません。さて、友人は普段着のワンピースで、この日の行事に向け整えられた立派な本殿の中心にちょこんと座り、聞いたこともない沖縄の民謡を伴奏なしで歌い出しました。力強く透き通った、まさに天に届くような歌声で、とても神聖なパフォーマンスでした。奉納が終わると、神主さんもその感動を伝えていました。人間の声と、その声が生み出す節には、人の心に届く、とてつもない力があると実感した体験でした。

沖縄音楽は特に、目に見えない力が宿っているように思います。私が大好きな沖縄の音楽家は、登川誠仁という三線の名手です。女性アーティストの歌う、のびやかな沖縄音楽のイメージとは少し違いますが、彼のややしわがれた声と三線のリズムで奏でられる沖縄の唄は胸にグッとくるものがあります。人気のある沖縄楽曲のひとつ、「十九の春」を彼が三線を伴奏にして歌っているビデオを観て、思わず涙がこぼれました。

1972年にレコード化されたこの曲は、民謡ではなく流行歌の部類に入ります。鹿児島県与論島で作られた与論小唄が元唄とされており、実は本州の七五調で、琉球音階ではなく演歌調音階。与論小唄は戦前に沖縄本島の遊郭で歌われて流行したという背景があり、そこにどのような人の移動の歴史があったのか、想像が膨らみます。

坂元 小夜
横浜生まれ東京育ち。大学院進学のために2015年に渡米。2020年よりロサンゼルス在住。南カリフォルニア大学大学院の博士課程にて日本の戦後ポピュラー文化を研究。歌謡曲と任侠映画をこよなく愛する。