晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.9
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第9回 世界に誇る「Sakamoto」
アメリカに住むようになって、事務手続きなどで身分証や書類などを提出する際、私の名前を見た係の人から「〇〇の親戚?」や「〇〇と同じ名前だね」など、ある日本のミュージシャンの名前をきっかけに話しかけられることがたまにあります。そのミュージシャンとは、坂本 九と坂本龍一です。
アメリカでは「SUKIYAKI」として知られる「上を向いて歩こう」が大ヒットしたのは1963年、坂本 九が22歳の時。アメリカでは女性ボーカルのポップソングが人気を集めており、「上を向いて歩こう」も初めは女性ボーカルと聞き間違えられたとか。ひと足先にイギリスでリリースされていますが、それは歌のないインストゥルメンタルで、ジャズ・トランペット奏者のケニー・ボールによって録音されました。タイトルが「SUKIYAKI」になった経緯については諸説ありますが、どうやら誰でも知っている数少ない日本の単語ということで抜擢されたようです。
さて、アメリカでの大ヒットのきっかけは、たまたまカリフォルニア・フレズノのラジオ局のDJが「上を向いて歩こう」のシングル盤レコードを手に入れ、番組でかけたこと。リクエストが殺到し、キャピトル・レコードの敏腕プロデューサー、デイブ・デクスター・ジュニアによって発売に至りました。その後、見知らぬ日本人が日本語で歌う「SUKIYAKI」は、アメリカのビルボード・ランキングでなんと3週間も連続で1位を獲得することになります。歌詞が日本語というバリアがあるにもかかわらず、日本語の曲がアメリカでここまで広く受け入れられた例はほかにありません。
一方、もうひとりのミュージシャン、坂本龍一は、歌詞のある歌ではなく、映画音楽の分野でその才能が世界に認められました。1978年に日本でテクノ・ポップグループ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)としてデビューした坂本龍一は、1983年に公開された大島 渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」の音楽を担当したことで世界を舞台に頭角を現し始めました。1987年に公開されたベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「ラストエンペラー」でも音楽を担当。この作品で数々の賞を受賞し、映画音楽家としての地位を確立します。
坂本龍一の名を聞いて、「SUKIYAKI」の坂本 九を思い起こす海外のオーディエンスがどれだけいるかは知る由がありませんが、いずれも翻訳という過程を経ずに日本の音楽が世界で成功した貴重な例です。ちなみに、私の苗字の漢字は坂元なので、このふたりと何の縁もないのは確実ですが、おかげで何かとストレスの多いアメリカの事務手続きでも思いがけず話が弾むこともあり、密かに感謝しています。