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ボブ・ディランの初期5年間を描く
A Complete Unknown
(邦題『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』)
伝説的シンガー・ソングライター、ボブ・ディランの伝記映画が公開された。現在も音楽活動を続ける彼のキャリアの中でも、本作で描かれているのは1961年のデビューから1965年までの5年間。短い期間ではあるが、この時代はベトナム戦争やケネディ大統領の暗殺、公民権運動の高まりなど、アメリカ全体が激動していた。ディランはそうした時代への心情を楽曲に反映させたフォークソングをアコースティックギターを手に歌い、多くの人を魅了する。だが、その後、その殻を破り、さらなる変化を遂げていく。本作は、そんな初期の歩みを鮮やかに描き出す。
脚本・監督はジェームズ・マンゴールド。彼はカントリー歌手、ジョニー・キャッシュを描いた『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でも知られている。
1961年、19歳のボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)は、憧れていたフォークのレジェンド、ウディ・ガスリー(スクート・マクネイリー)に会うためニューヨークにやって来た。すでに声を失い病床に伏すガスリーを見舞ったディランは、見舞いに来ていたもう一人のフォーク・レジェンド、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)とも出会い、ガスリーのために書いた曲を弾き語る。ガスリーもシーガーも共に社会の不正に抗議するメッセージソングやプロテストソングを歌い続けてきたフォークの活動家で、彼らはディランの才能に瞠目。
シーガーは彼を援助することを申し出るのだった。シーガーの助けで、フォークの世界で歌うチャンスを得たディランは、反戦運動を行うシルヴィー・ルッソ(エル・ファニング)と出会い、彼女の部屋に転がり込む。金のないディランを支えるルッソだったが、ディランは、クラブで出会った人気フォークシンガー、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)と音楽的にも個人的にも親密になっていく。
ディランのフォークシンガーとしての成功への軌跡や恋愛模様を描く展開にあまり面白みはないが、息の長い現役ミュージシャンの長いキャリアの中で初期のみを描いたのは正解だった。特筆したいのは、シャラメとノートンが全編で作中の歌をギターを弾きながら歌い上げていること。シャラメはちょっと鼻にかかったディランの癖のある歌い方を見事に再現し、その歌声は聴き応えがあった。
本作が描き出すのは、自我が強く、何よりも自分の音楽へ情熱を優先していく男の姿。反戦歌を共に歌いディランの成功を後押ししたバエズも、支えてくれたルッソも彼の不実さに耐えられず離れていく。好感度抜群のシャラメが演じることでその特異性が薄れる面もあるが、2016年にノーベル文学賞受賞授賞式に現れなかったエピソードを引き合いに出すまでもなく、彼の独自性は際立っている。フォークシンガーと呼ばれることを嫌い、反戦集会で歌われた「風に吹かれて」を「反戦歌を書いたつもりはない」と言い切る彼は、フォークロック・ミュージシャンの枠を超え、彼のみが知る音楽世界を追求し続けているのだろう。
とはいえ、彼の書いた楽曲は文句なしに素晴らしく、世界中のミュージシャンに影響を与え、カバーされ、歌い継がれている。エンディグで絶唱される「ライク・ア・ローリング・ストーン」の力強い歌声は、60年代を知らない世代の人でも思わず胸が熱くなるのではないだろうか。

A Complete Unknown
(邦題『名もなき者/
A COMPLETE UNKNOWN』)
写真クレジット:Searchlight Pictures
上映時間:2時間21分
シアトル周辺ではシネコンなどで上映中。