5月のカンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した是枝裕和監督の最新作だ。邦画としては21年ぶりのパルムドール受賞とあって、日本ではちょっとした是枝ブーム、米国での配給先も決まった。
都会の谷間にあるボロ屋に住む、祖母の初枝(樹木希林)と、初枝の年金を当てにして転がり込んだ治(リリー・フランキー)と妻の信代(安藤サクラ)、その息子の祥太(城 桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の5人家族。年金で足りない分は、治が祥太と組んで万引きをしては生計に当て、言葉使いは荒いが、一家は狭い家で仲良く暮らしていた。
そんな一家に幼い女の子がやって来る。治が、寒空の夜、外にいた女の子を連れてきてしまったのだ。早く返しておいでよ、という信代だったが、体中に傷あとが残る少女は、あっと言う間に家族の一員になっていく。かわいい、かわいいと愛に包まれる少女だった。
本作には拍子抜けするほどドラマが起きない。前半描かれるのは、この一家が食べたり、入浴したり、花火を見たりする日常の断片。祖母に甘える亜紀、少女の母だと思い決める信代など、互いへの愛が培われいく様子が、まるで懐かしい記憶のような美しい映像で切り取られていく。そして、観客は次第にこの家族の秘密に行き当たっていくのだ。
震災以降、世間で家族の絆が連呼されることに居心地の悪さを感じていた、という是枝監督。ドラマチックな物語展開を避け、俳優らの力に任せて描き出そうとしたのは、目に見えない人のつながりと人への思い。血縁ではない人々の絆、選び合った関係が「家族」同等の結び付きを持ち得る、という問いかけではなかったか。さらに言えば、本作の背後には、婚活、家族の絆だと政権が声を大にする反面、格差は拡大し、貧困家庭、母子父子家庭が忘れ去られている現実と、そのことへの憤りがあるのだと思う。
監督は自身のブログで、政権等からの受賞を顕彰したい意向を断り、公権力とはきっぱり距離を置きたいと書く。「『大きな物語』に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その『大きな物語』(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な『小さな物語』を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだ」本作の米国での公開日は決まっていないが、近日中に是枝監督の前作『三度目の殺人』の米国公開も控えている。是枝ファンにとって今年は当たり年と言えるだろう。