最近は、日本のTVドラマや映画をネットで視聴できるサービスが増えてきた。私も加入して、昔大ヒットした「おしん」を見ている。田中裕子の魅力はもとより、幼少時代を演じた子役の小林綾子や、迫真のいじわる演技を見せる義母役の高森和子が素晴らしい。脚本もさることながら演技達者な役者たちや演出に感心させられ、毎夜、床に就くのが遅くなる。
このドラマはフィクションながら、わずか2、3世代前の日本人の生活はこんなにつらいものだったのかと想像できる。いじわる姑に代表されるように、女はこう、長男はこう、嫁はこうするのが当然と、自分たちが経験した人間関係やしきたり、迷信でさえ、それを次世代の人間にも受け継がせようとする。このような傾向は形こそ変われど、今も顕著に残っている。「世間が許さない」などと、社会常識に従うべきと信じ込んで疑わない人がたくさんいる。そういう人は、適齢期の結婚、白髪染めなども当たり前という観念で、他人に強要する。たとえば、私が独身と知ると「へえ、あなたは、どうして結婚しないの? もったいない」。相手が日本人なら、ほとんど必ずこの質問が返ってくる。
私は妾腹から生まれた。結婚という概念を始め、自分が納得できないことには従わないで今まで生きてこられたように思う。自由な考えを育めたわが境遇に感謝している。ただ、母が「片親だと就職では不利」と言っていたのを覚えていて、そんな社会なら大学を出た後も普通の就職はしたくない、と無責任に決めていた。だから日本を出たのだ。そんな私には、多くの日本人の考え方が窮屈に思えることがある。日本人の集まりに行くと、私が何者なのかと詮索され、息苦しくなる。「すぐに結婚相手を見つけてあげる」と、余計な親切を押し付ける。人と同じことはなるべくしたがらない自分には、正直たまらない。
そうは言っても、昨年末に訪れて13年ぶりに見た今の日本は、時間厳守、他人優先、人は正直、食べ物はおいしい、信頼できるサービス、うそのように清潔な公衆便所が至るところにある。とても暮らしやすい社会になっているのを見ると、昔からの日本人の習慣が大きく影響したものと思え、いわゆる「オンリー・イン・ジャパン」と呼ばれる優れた日本の文化に敬服せざるを得ない。それと同時に、型にはまらない日本人は今も昔もいっぱいいる。こういう人たちが日本社会を変えてきたのだと思う。若い日本人夫婦が子どもの世話をうまくシェアしている様子もほほえましく目に入り、日本人の男女関係の形も変化しつつあるようだ。退職後の自分の今を振り返ると、「おしん」に比べてラッキーな時代に生まれたと、ありがたく思っている。