在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
変わりゆくワイキキ
昨年12月上旬、雨のバンクーバーを抜け出し、再びワイキキを訪れた。バンクーバーのピックルボール仲間も同時期に来るようになり、今回はなんと20人に膨れ上がった。シニア5人でウォーターフロントから2ブロック離れたアラワイ運河近くに宿を確保。地元民に交じって、米軍所有のフォート・デルッシーにあるビーチサイドのコートで連日「ゼロゼロツー」。ホリデー・シーズン連休の狭間とあって、真珠湾攻撃の追悼パレードやホノルル・マラソンも行われるが、人出が見られるのはカラカウア通りのみだ。
▲今回はシアトルの友人や相棒ジェームズの娘家族を招待。ハワイは初めての孫たちは何時間も飽きもせずビーチで遊び、宿に帰るとまたプール
ピックルボールだけではない。ワイキキに行くもうひとつの目的は、アラワイ・ゴルフ・コースのクラブハウス2階で行われる公営無料の社交ダンス。出かけると、顔なじみのボランティアやダンサーと再会する。ハワイの食べ物も旅の楽しみ。幸い、宿の近くにパラマという韓国系スーパーができ、地元ならではのパパイヤやパイナップルを始め、2週間の滞在に必要な食料がそろった。
▲国連IPCCによれば、地球規模で続く海面上昇は2100年までに最大3.2フィートに及ぶという。ワイキキ中央のビーチは、海面上昇に対処してコンクリートの壁やL字型の防波堤が施されている
▲軍施設が一般に開放する、フォート・デルッシーのピックルボール・コート2面。われわれシニアは、暑さが厳しくなる前の朝7時半からプレー。ビジターのほとんどがカナダからで、偶然にもバンクーバーの知り合いと遭遇した
◀︎ 半地下に設けられた新フードホール、スティックス・アジア。平日午後に立ち寄ると、なぜかガラガラだった
ワイキキ横丁跡地には昨年2月、スティックス・アジアがグランド・オープン。趣向を変えたフードホールが多いのは最近の傾向か。ロイヤル・ハワイアン・センター内のワイキキ・フードホールも息を吹き返し、北米からの観光客でいっぱい。クヒオ通りにはクヒオ・アベニュー・フードホールに加え、レストランを併設するワイキキ・マーケットも登場した。家賃の高いワイキキで飲食店を増やす苦肉の策? 昨今、うんと値上がりしたレストランは、収入に限りあるシニアは敬遠し、代わりにインターナショナル・マーケット・プレイス2階のミツワへ。日系スーパー内で食事をし、チップを節約する術を学んだ。
ちなみに日本からの商業投資はパンデミックを経ても健在だ。例年滞在するタイムシェア・コンドの隣にも、日本から星野リゾートが進出。サーフジャック・ホテルとして装いも一新した。私がワイキキで最もエレガントと思うホテル、ハレクラニも三井不動産の所有。フロントで働く友人が言うには、円安の影響か、利用客は日本人を抜いて韓国人が最多とのこと。いつも混む丸亀うどんで隣に座った30歳前後の韓国人カップルも、宿はザ・リッツ・カールトンと話していた。
▲宿から程近いザ・リッツ・カールトン1階にオープンしたアイランド・カントリー・マーケット。食事からドリンク、スイーツまで何でも調達できて重宝する
一方、本コラムでも触れた通り、ワイキキのショアラインは縮小しつつある。30年間、ワイキキに通って初めて気付いたのは、ロイヤル・ハワイアンなど古くからのホテル群前に広がるビーチの異変。いつからかコンクリートの壁が張りめぐらされ、海面上昇対策が進む。シニアはあの世に行っても、今の子どもが生きているうちにワイキキは沈没、または元の湿地帯に戻るかもわからない。
自分たちが問題意識を持てば、なんら日常生活にも反映できよう。少しでも環境に配慮していけたらと思う。
▶︎毎週金曜日の夜には、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジで花火が上がる。ワイキキ中心では、ビーチに出るとどこからでも見える
▼ノースショアのハレイワで1951年から続く元祖マツモト・シェイブ・アイスは、自家製シロップを使うかき氷が人気。いつ来ても列ができている
▲300人のダンサーが収容できそうな、市営アラワイ・ゴルフ・コースのクラブハウス
▼ホテルと言えば、ワイキキのトランプ・インターナショナル・ホテルの名称変更が決まり、2月にヒルトン系ワケア・ワイキキ・ビーチとして生まれ変わる。CNNの報道では、これでトランプ・ホテル・アンド・リゾートは8軒を残すのみとのこと