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のんびり急ぐ?〜シニアがなんだ!カナダで再出発

シニアがなんだ!カナダで再出発

在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。

のんびり急ぐ?

自分は73歳だが、「じいさん」とは思っていない。子どもや孫がいないせいもあろうが、頭の芯は18歳のある日、鏡を見て初めて自覚した「自分」と変わらない。でも、60歳前後の人に会うと「まだ若僧」と思え、逆に80歳の人なら経験豊富な「先輩」と尊敬の念を抱く。

都会の狭い住居は増える所持品ですぐ満杯50歳代に趣味としたボーリングの道具をクレッグズリストの掲示板に出してみたら数件引き合いがあり善良そうな若い男性に数十ドルで引き取ってもらえた
コミュニティーセンターで2年ぶりに再開された社交ダンスレッスンステップなどはすっかり忘れてしまっていたが終われば仲間と一緒にピザとビールでハッピーアワー

しばらく前、人生で「聖域」に達した感のある日本人の老賢女が、「残された時間を楽しむため、その時間を最大限ストレッチしながら生きているの」と、禅問答のような教訓を述べていた。今はなんとなく、言わんとする意味がわかる気がする。しかし、ひとつひとつの行動に十分時間をかけて、ゆっくり、しっかり事に当たれば良いのか? それとも、集中して時間を有効に使い、より多くを行うのが「残る時間をストレッチする」ことになるのか?

例年より寒く雨も多かったバンクーバーも急に初夏日和にバルコニーもにぎやか

現役の頃は、職場で自分への評価を高めたいと、課せられた業務をいち早く片付けるよう努めた。締め切り間近の仕事が重なる時は特に、あれもある、これも急ぎで、と焦ってくる。シアトルでは40年近く同じ職場で働いたが、自分はうんと気を付けたと思っても、急ぐせいか、それとも人より能力が劣るのか、たびたび失敗した。

勤務時のストレスは週末のハイキングと出勤前の水泳で発散したシアトルで40歳代半ばから始めたハイキングはこれなら年を取ってもどこまでも歩けるぞとユーフォリア至福感で満たされた

急ぎ癖が抜けない。過去を振り返ってみると、それは小学校に上がった時からのようだ。自分の学業や素直な性格(と言われた)について、家族以外の第3者である教師から初めて、母親経由だが認められた。この評価に負けないようにと、いわゆる「点取り虫」的なちょっと曲がった性格が身に付いてしまった。

シアトル最後の住所となったフィニーリッジの家1992年フリーモントに小さな家を初めて買いその5年後にここへ引っ越した今は手間がかかる一軒家など決して持ちたくない

教師に好かれたい、認められたいと、先生の質問には「チャンス到来」とばかりに挙手したし、中学では試験勉強に密かに励んで好成績を維持した。「やればできる」とのぼせ上がった私は、高校に入って交友やおしゃれに気を取られるようになり、勉強は二の次になった。社会人になってからは第3者との交流範囲が広くなるにつれ「点取り虫」が再起動。凡才の身に鞭打って、自分は「できる」と自信を復活させたがった。

シアトル勤務時代に日本の練習帆船の日本丸や海王丸と練習船や歴代総理のシアトル来訪時のロジ庶務担当はシアトル桜祭日本文化祭と並んでわが一大職務だった

前職で初めて事務職となり、職場の構造や人間関係がよくわからないまま10年ほどを過ごした。ようやく英語で電話でのやり取りがこなせるようになり、仕事の要領がわかって増える職務も順調にさばけていると思えた頃、日本のバブルが崩壊し、在外のわが職場に影響を及ぼし始めた。90年代末ごろから仕事の決済手順が急に厳しくなって、同じ時間内でより細かな作業が課せられた。「マルチタスク」に走るも、退職前の10年間は良い仕事ができたという満足感は得られなかった。

40年勤務の後半で受け持つようになった各種レセプションの司会役人前で話すことは恥ずかしかったが徐々に慣れた原稿は事前に英語が母国語の同僚にチェックしてもらいずいぶん助かった

退職から8年経った今も頭のどこかに潜んでいるのか、時たま再浮上する、はやる気持ち。「もう急ぐ必要はないのだよ」と自分に言い聞かせてスローダウンしようとするも、知らないうちにまた焦っている。長い間に身に付いた癖は直らない。

退職前の4年近くはカナダ永住権を維持するため週末になると愛猫を伴いカナダ国境近くのホワイトロックにある借宿に通った写真は同市の風光明媚なウォーターフロント
武田 彰
滋賀県生まれの団塊世代。京都産業大学卒業後日本を脱出。ヨーロッパで半年間過ごした後シアトルに。在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務。政治経済や広報文化などの分野で活躍。ワシントン大学で英語文学士号、シアトル大学でESL教師の資格を取得。2013年10月定年退職。趣味はピックルボールと社交ダンス。