シニアがなんだ!カナダで再出発
在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
元気をもらう?
最近の日本製ドラマは面白いばかりでなく、日本人の考え方や言葉遣いの移り変わりに追い付く意味でもありがたい存在。たとえば、ある刑事ドラマでは今風の髪型をした主人公の同僚が、「です」ではなく「っす」「っすか?」と、新語を敬語のように使う。そう言えば、早40歳になる東京在住のアーティストの友人も、「そうそう。それがベストかなぁ? と思ったり」と、年長者の私に失礼にならないように配慮しつつも、メールで新しい若者言葉を繰り出す。
SNSやスマホの影響で文章を短くする必要性から生まれたと思しき省略形もあるが、ネットで調べると、かなり前からあらゆる日本語が短縮され、日常的に使われているようだ。木村拓哉は「キムタク」、ピアスは「へそピ」や「鼻ピ」、マクドナルドは「マック」(大阪方面なら「マクド」)、ミスタードーナツは「ミスド」、牛丼の吉野家は「よしぎゅう」などと言う。言葉は時代と共に変わるのは常識。むしろ新鮮で面白い。
でも、シニアの皆さんは「ん?」と首をかしげることはないだろうか。私の好きな日本の歌謡番組で、司会者と歌手のやり取りで「元気(勇気)をもらった」との表現をよく耳にする。特に3・11や新型コロナに関する特別番組などで聞かれる。「元気付けられる」や「励みになる」の意味合いかと思われるが、何やら無理がある。本当に元気が出たと思っての発言だとしても、これが新しい言い方だからと自分も(含めて)右へ倣えと使うのは、便利でも時に無責任だ。
また、「何々さんが何々をしてくれた」と言うのも話し手の常識を疑ってしまう。これも歌謡番組になるが、歌手が作曲・作詞家などについて話す時に使われる。身内や目下の人物についてならわかるが、目上の人や第三者には失礼な言い方とも取れ、自分なら使わない。例によって、東京の友人に尋ねてみた。「『〜をしてくれた』は、目上の人のことを話す場合、相手がその目上の人と旧知の仲でもない限り失礼ですよね。『元気をもらう』がなぜ耳障りか。1)元気でなくてはいけないという前提がまず気に障る。2)元気はそんなに簡単にやり取りできるものではない云々」と、私の感じ方を鋭く具象化してくれた。
「私は古いのか……」と、ジャーナリストの友人たちは皆、最近表に出ている文章が拙いと言う。「本を読んでいないな、この人は」と、すぐわかると。ネット投稿者と昔の文人。それはもう雲泥の差だが、オンライン化で発表の場が増え、敷居が低くなってしまったこともあるのだろう。今でも出版物はプロによる編集や校閲を経て初めて人の目に触れる。「ネットの世界では誰でも文章が書けてしまい、それを目にした人の脳にそういう文章がインプットされていき、劣化がますます進んでいく、という構図ではないかと思う」と聞いた。なるほど、本欄のわがエッセイも出版社のプロ編集人がある程度のファクト・チェックや文章校正を行い、読みやすく整えられて世に出される。言葉遣いについては、わが先輩たちも「団塊世代」や「新人類」のことを嘆いたことだろう。だから今の若者に物申す気はないが、やはり言いたい時もある。それこそ、シニアの特権?