カナダ人はナイス?
秋に大型台風が日本を襲ったのと同時期に日本中を興奮の渦に巻き込んだラグビーワールドカップ。参加中のカナダ代表選手たちが、台風で中止になった試合の代わりに被災地の掃除を手伝った。「突然現れた屈強な助っ人に、住民からは感謝の声が寄せられた」と『朝日新聞』は報じている。このニュースは当地でも流れ、日本出身でカナダに移住した私にはうれしいものだった。
1847年に主食のジャガイモが飢饉となり、アイルランドから逃れて多くの人がトロントに移住した時、カナダ人は諸手を挙げて受け入れた。9・11の米国テロの際も、ニューファンドランド島に緊急着陸した米国行きの飛行機の乗客を地元民が自宅に泊まらせ、世話をした。最近ではシリアからの難民を世界で最も多く受け入れており、ジャスティン・トルドー首相自ら歓迎したテレビ映像が世界中に流れるなど、「カナダ人はナイス」というイメージが定着しつつある。
カナダ人に対する個人的考察を述べてみたい。幼い頃から当地で育った人は他人へのマナーが良く、道や店でぶつかりそうになるだけですぐ「ソーリー」と言うし、話し相手と意見が違っても強く反撃されることはまれ。先日、家の近くで2台の車が接触事故を起こしたが、20〜30歳代と思われる運転手2人は言い争うことなしに淡々とお互いの情報を交換していて、清々しささえ覚えた。
一方、この「カナダ人はナイス」という広く知られたイメージの裏側を分析する意見もある。カナダの日刊紙『ザ・スター』の記事で、中国からトロントに留学中のある大学院生は、「都会に住むカナダ人は表面的にはナイスだが、微笑みと親切な言葉の奥に、他人に対しての無関心と距離を置きたがる性格を隠している。常に自己のイメージや評判を守ろうと受動的攻撃行動(Passive Aggressive Behavior)を取る傾向にあり、米国人と英国人の中間的な性格」と言う。
そう言えば、自分もカナダに移って6年経ったが、常に交流がある友人はほとんどがアジア系1世の移民。23歳で日本を出て、50年近く欧、米、加と移り住んだ自分は、いわゆる欧米社会のことを少しはわかっているつもりだ。しかし、パーティーなどで周りが全て英語を自国語とするカナダ人たちに接する時は、あいさつや日本の話題が終わると、話が途切れがちになってしまう。俗語をふんだんに使い、ジョークも入れて話すネイティブの言葉の背景が、即座に理解できないことも原因だと思う。逆にアジア系移民とはより互いのことがわかる気がする。
多文化主義のカナダに移住した自分は、「人はどうあれ、自分は自分がベストと思う自分の理想を目指して生きていく」と言う古い友人の名言を実践するよう心がけているこの頃である。