マスク作りのボランティア団結成
新型コロナウイルスにより、3月半ばには「シニアは家から出ないように」と政府からお達しが。ひとり暮らしはつらいので、相棒のジェームズと助け合うべく、わが家で閉じこもる共同生活が始まった。1973年の石油危機以来の物資不足。当時、ギリシャにいた私は「船着き場でプロパンガスの支給を待ったものだ」と昔を思い出す。
ジェームズの娘夫婦が早いうちに買って分けてくれたN95マスクを着用し、買い物や散歩に出かける新たなルーティンに慣れた頃、ピックルボール仲間のWhatsAppを使った助け合いグループで、マスク作りのボランティアが募集された。仲間の産婦人科医が勤務する病院でN95マスクが配給制となり、長持ちさせるために、上から被せて使える保護用のマスクを作って欲しいと言うのだ。
ピックルボールも社交ダンスもできなくなり、時間を持て余していたジェームズがすぐに手を挙げた。生地やゴム紐、マスクの鼻部分に挿入するワイヤーなど材料も翌日には集まった。市内の大手生地屋も、こんな時だからとマスク用生地を割引販売している。
手先の器用なジェームズは、私が30年前に元同僚から譲り受けた古いミシンを使い、第1号マスクを早々と完成させた。数日後には、私を含め有志数人が資金を出し合い、近所の専門店で最新ミシンを購入し、ジェームズにあてがわれることに。ボランティア縫い子3名が朝から夜中まで、マスクほか帽子とガウン作りに励む。
さすがにガウンは素人には難しいが、ジェームズの社交ダンス仲間で最近まで繕い業をしていた韓国系女性にボランティアを頼めた。さすがプロだけあり、縫い目も完璧。4月末までにマスク300枚、帽子50点、ガウン10着ほどが近所の病院に寄付された。不器用、というよりおそらく怠惰な私は、それでも何か手伝わなければと食事担当を引き受ける。これぞ「銃後の守り」?
4月に入り、カナダのPPE(医療用防護具)不足はますます深刻化。さらなるマスク作りの必要性を覚悟させられた。前述のガウン作りボランティアの女性には頭が下がる。材料を持参した折にわかったのだが、古いアパートの小さなワンルームに住むにもかかわらず、広いスペースが必要とされる作業を快く引き受けてくれた。
疲れと戦いながらガウンと帽子を10点ずつ、わずか4日間で仕上げた。他人のために無償で懸命に働く高い志は、有事にこそ求められるように思う。マスク買い占め問題で諸外国やマスコミから叩かれている米国とは大きな違いだ。
このパンデミックは、人類の過大消費による環境破壊の産物で、将来起こる破滅的な出来事の前触れに過ぎず、人口も消費も現在の半分に抑えなければ人類滅亡は避けられないと警告する記事を目にした。多くのシニアを死に追いやるこの病は自然の理にかなっているのか。さて、コロナ騒ぎのおかげで最小限の活動を余儀なくされた私は、生きるには何が必要か気付く機会を得られたようだ。