シニアがなんだ!カナダで再出発
在シアトル日本国総領事館に現地職員として39年間勤務した後に、2013年定年退職した武田 彰さんが綴るハッピー・シニアライフ。国境を超えるものの、シアトルに隣接する都市であるカナダのバンクーバーB.C.で過ごす海外リタイアメント生活を、お伝えしていきます。
また誕生日が来た
10月、72歳になった。「母さんはいくつ?」と聞けば「さて、忘れてしまった」と答えてくれなかった亡き母を思い出す。子どもの頃はうそっぽいと感じていたが、それ以上追及しなかった。母の誕生日自体もはっきりしない。あまり家にいない父、男3兄弟、そして母という家族構成のせいか、自分で祝うことをしない母の誕生日は知らないうちに過ぎてしまっていた。
自分のことは構わず、常に家族や父の会社で働く従業員たちを思い、食事は周りの世話が終わってから残り物を食べていた献身的な母だった。自分もこの年になると、「加齢の証」たる誕生日は虚栄心も手伝って考えたくない。母の言葉は半分本当だったのかもしれない。
思い返してみると、16歳になって待ちに待った軽乗用車運転免許(当時)が取れるようになった日以外は、誕生日が来ても特にうれしくはなかった。昔の日本には誕生日を祝う習慣があまりなかったし、誰も覚えていてくれない時さえあった。わが家では、誕生日に母が尾頭付きで鯛を焼いてくれたが、私は骨を取るのが面倒なので、母に手伝ってもらうか、骨取りの上手な兄に譲ってしまっていた。近頃は新しくできたバンクーバーの友だちが食事会やカードで祝ってくれるが、なぜか素直に取れない。北米人は大げさなほどに祝う傾向があり、クリスマスなどでも皆こぞって喜びを表現する。皮肉屋の私は、子どもの頃からそうするように訓練されているのかと勘ぐってしまう。
誕生日を祝ってもらい、うれしかったこともあった。シアトル・ダウンタウンの職場では、同僚の誕生日には決まって近所の鉄板焼きレストランで昼食がてら祝ったものだ。10人ほどで鉄板のある四角いテーブルを囲み、シェフのエンターテインメント付きで食事ができた。しかも誕生日の客には、ミニ傘の飾りが付いたパイナップルのデザートや、インスタント・カメラで撮影した写真のプレゼントがあったのも楽しかった。
シアトルで還暦を迎えた時は、お向かいに住んでいた節子さん一家が居酒屋に招待してくれた。還暦ということで赤い服を着て出かけた。彼女の友人が「アキ」と呼ばれていた私に、「Aki’s Body Shop」とある車の修理業者の看板を写真に撮り、それを器用に額に入れてプレゼントしてくれたのも面白かった。年若き頃は、還暦という由々しい年を迎えた「老人」たちが周りから祝福されるのを見て、「60歳になるってすごい」と、自分には遠い未来のことのように思っていたし、いざ自分が60歳になっても実感はなく、自分はまだまだ「青年」と信じ(たがっ)ていた。近年の還暦経験者の多くも同感であろう。
そして72歳の現在、立派に「老人」とされる年齢だとは認識するものの、80歳以上の先輩に出会うと人生経験の豊富さを思い知らされ、自分はまだまだ若輩だと感じる。「物の道理」や「道筋」と言ったことがわかりかける年代に入ったということだろうか。フムムム……。