セーフコ・プラザ
1001 4th Ave., Seattle
1969年に完成したこの50階建ての箱型ビルは、「シーファースト(Seafirst)」と呼ばれて親しまれた銀行、シアトル・ファースト・ナショナル・バンクの自社ビルだった。ミシシッピの西でいちばん高い建物を目指して建設されたものの、完成と同じ年にサンフランシスコの52階建てビルに抜かれてしまったので、西の王者のタイトルを獲得したのはほんの数カ月の間。シアトルでは1985年にコロンビア・セ ンターができるまでの間、ナンバーワンの座を保っていた。 現在の「セーフコ・プラザ」に名称が変わったのは、2007 年。セーフコ保険会社がユニバーシティー・ディストリク トのビルをワシントン大学に売却してこのビルを購入し た後のことだ。ちなみに、前述の銀行(当時の社名はシー ファースト・バンク)は80年代にバンク・オブ・アメリカに 買収された。
飾りのないすっきりとした長方形のデザインは、典型的な「インターナショナル」スタイル。ドイツ出身のモダニズムの巨匠、ミース・ファン・デル・ローエ(1969年没)の代表作のひとつであるニューヨークのシーグラム・ビル(1958 年完成)によく似ていると言われる。合理性とシンプルな機能美を追求するモダニズムが提唱されたのは1920年代だが、そのスピリットを体現するビルが実際に都市に現れ始めたのは第二次大戦後の1950年代。以降、80年代に「ポストモダン」が現れるまでの間、ストイックなまでに飾りを 排したインターナショナル・スタイル、つまりシンプルな箱型が高層ビルのデフォルトとなった。
このビルができるまでシアトルのダウンタウンでスカイラインを制していたのは、1920年代後半に建てられたアールデコのビル群を始めとする、華麗な装飾を持つ建物だった。完成当時の絵葉書(右写真参照)には、巨大な四角い箱のようなこのビルの隣に優雅なアールデコ様式のシアトル・ タワーがことさらに小さく描かれている。それまでのダウンタウンでいちばん目立っていたシアトル・タワーは27階建て。その2倍近い高さの巨大なモノリスのようなビルの出現は衝撃的だったことだろう。地元の歴史家、ポール・ドーパット氏は『シアトル・タイムズ』紙のコラムで「シアトルの昔を知る多くの人にとって、このビルの出現は愛すべき 『オールド・シアトル』終焉の始まりだ」と書いている。シアトルの人たちはいつしかこの巨大な黒いビルを「スペース・ ニードルが入ってきた箱」と呼ぶようになった。スペース・ ニードルの完成は1962年だが、大きさといい形状といい、まさにぴったりの形容。飾り気のないモダニズムの「箱」と スペースエイジのロマンチックな夢を代表するスペース・ ニードルとが、シアトルに新時代の始まりを告げたのだ。
※このビルはシアトル建築財団主催のウォーキング・ツ アー「High Ambitions: Concrete, Steel, Glass & Egos」 で紹介されています。
[たてもの物語]