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中嶋浩隆さん〜富士フイルムソノサイト

富士フイルムと聞くと「写真やカメラ」のイメージがあるかもしれませんが、現在は事業セグメントの中でも特にヘルスケアが売り上げ・営業利益に占める割合が最も大きく、先進医療企業として大躍進を遂げています。その一端を担うのが、ワシントン州の子会社、富士フイルムソノサイト。本社戦略の展開、財務、販売と幅広い業務に携わる中嶋浩隆(ひろたか)さんに、同社の製品と世界を股にかけ働く醍醐味について大いに語ってもらいました。

取材・文:加藤 瞳
写真:富士フイルムソノサイト、本人提供

中嶋浩隆■静岡県浜松市出身。2001年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、富士フイルム株式会社に入社。経理部、IR室(投資家向け広報)など本社部門を経験した後、2009年に米国ロードアイランド州の半導体材料製造・販売子会社、2012年にシンガポールの東南アジア地域統括子会社に赴任。2013年には東京の富士フイルム本社にてCEO秘書就任。2017年よりワシントン州の富士フイルムソノサイトで勤務。

海外に憧れて

海外志向は大好きなサッカーから始まった。「中学以来、イングランドなどサッカーの海外試合もよく観ていたのですが、そのサッカー場の芝生が本当にきれいに見えたんです。30年前はペンペン草が生えていたような日本のフィールドと比べて、すごく整備されていたことに驚きました。サッカーを通じて海外の自然や風景を多く目にするようになり、海外に漠然とした憧れを持つようになりました」

シンガポール赴任時代数少ない休日を見つけては夫婦で旅行を楽しんだ写真はバリ島にて

生まれは浜松だが、メーカーで働く転勤族だった父に連れられ引っ越しを繰り返し、今に至るまでの転居回数はなんと15回。大学時代には1年休学し、イギリス南東部の田舎町へ留学した。そのため卒業は1年遅れたが英語力は格段に上がり、就職氷河期真っただ中の2001年、富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)へ入社。経理部への配属となった。当時の上司から「その1年はロス(失ったもの)ではなくゲイン(得たもの)だったねと言ってもらい、自負になりました」

なぜ、富士フイルムだったのか。「まずは海外に行くためにはどうすれば良いかという視点で考えて、この会社であれば海外展開もしている、と」。念願かない、初の海外赴任ではアメリカ東海岸、ロードアイランド州へ。2009年のことだ。半導体材料の製造・販売を行う子会社で3年半を過ごした。「留学先はイギリスの田舎でしたので、その頃はまだアジア人に対する偏見も強かったですし、閉鎖的な印象がありました。それがアメリカでは、みんな陽気でオープンで……。良い国だなぁって感じましたね」。ロードアイランド州で出会った人々の温かさや前向きさは、自身の中でアメリカの原風景になっている。

散歩コースのメイデンバウアーベイパークにてリフレッシュしたい時にはレイクワシントンを眺めに行くそう

そして2012年、シンガポールへ異動。約1年間、経営企画部員として会社統合や東南アジア地域の経営管理強化の仕組み導入に尽力した。実はロードアイランド州赴任中に大学時代の同級生と結婚した中嶋さん。すぐにシンガポールでの生活となったが、専門職のスタッフがそろうアメリカと違い、駐在員が何もかも対応する必要があり、目が回るような忙しさだった。「新婚なのに、妻には申し訳なかったですね」と苦笑する。

進化する富士フイルム

CEO秘書として富士フイルム東京本社勤務を経て、2017年にはワシントン州ボセルを本拠に医療機器製造を行う子会社、ソノサイトへ赴任した。携帯型超音波診断装置で世界的にも高いシェアを誇る。

富士フイルムホールディングスは現在、X線フィルムに始まり、機能性食品や医薬品を含むヘルスケア用品など、ヘルスケア部門が販売の30%以上を占める。意外に思うかもしれないが、これは写真関連部門の実に3倍近い数字だ。中嶋さんは、入社してからの20年ほどで同社が大きく変貌を遂げたと語る。

ソノサイトのマネジメントのメンバーが集合5月の北米セールス会議にて

「デジタル化によって昔ながらの『写真フィルム』がなくなっていく。そんな中で事業の多角化が進みました。医療機器もラインナップが増えましたし、半導体の材料や液晶画面の視野角を拡大するフィルムなど、いわゆるBtoB(対企業向けビジネス)に力を入れています。写真フィルムの研究開発で培った技術を軸に応用展開し、多角化していったんですね」

同社はメディカルシステム事業の拡充を目指し、2012年にソノサイトを買収。中嶋さんは、ソノサイトのマネジメントと協力しながら、東京本社の経営戦略を遂行するほか、日本・中国への販売責任を負う。特に後者は、大規模なマーケットでいかにシェアを拡大させられるかがカギとなる。

最初の赴任先ロードアイランド州での送別会人の明るさに触れアメリカが好きになった

同社は、携帯型超音波診断装置の研究開発によって、POC(ポイント・オブ・ケア)超音波という領域の確立にひと役買ったことで知られている。「POCとは、医師がベッドサイドで診断や治療方針の決定をする行為で、ソノサイトが開発した携帯型超音波診断装置が貢献しています。ソノサイト製品の特長である使いやすさや堅牢性などを訴求し、アメリカでの販売ノウハウも用いて、日本や中国にも広く展開し売り上げを伸ばしていきたい。今はそれが目標です」

これまでの中嶋さんは、経理や経営企画などのコーポレート部門でキャリアを積んできており、販売部門に携わるのは今回が初めて。「私自身が急に商品について美しく完璧に説明できるようになったかと言うと、正直そんなことはありません。お客さまと直に接する代理店をいかにサポートしていくか、そこに自分の付加価値を見出し、専念するのみです」。まさに縁の下の力持ちなのだ。

富士フイルムグループ製品セグメント別売り上げ高

新たに見つけたやりがい

まさか自分が医療機器を取り扱うようになるとは、入社時は想像もしていなかった。しかし、そこに得難いものを感じていると言う。「病院で医師の方などに社名を言うと、『もちろん、使わせてもらっているよ』という具合に皆が知っている。実際に医師と患者の手助けができていると実感するんです。新卒で入社した当時、自分はこの会社で何をやるんだというビジョンを描けないでいました。でも今は、自分が担当する製品の普及を通じて、医療従事者を支援し、医療現場の質の向上につながるという感覚を持てる。ほかでは得ることのできない、大きなやりがいになっています」

ワシントン州赴任が決まり心待ちにしていたアメリカ大陸の旅カナダのバンフやメキシコのカンクンなども訪れた

そんな中嶋さんに、抱負を問うた。「今できることをしっかりとこなし、全うしていきたい。あまり先のことは考えないようにしています。えらくなりたいとか、そういう欲が出てくると仕事の本分からずれて、判断もぶれていくように思うので」。実直さが現れる回答に、ストイックな一面も垣間見える気がした。

富士フイルムソノサイトの先端技術

富士フイルムソノサイト

1998年創業。「いつでも、どこでも、どんな患者にも(Any Patient. Anywhere. Anytime.)」をコンセプトに、携帯型超音波診断装置の研究、開発、販売を行う。POC超音波診断医療という市場領域を確立し、業界をリード。2012年に富士フイルムホールディングスの完全子会社として、より広範に最先端医療を届ける。現在は世界中で14万台以上のソノサイトの装置が使用されている。

FUJIFILM SonoSite, Inc.
21919 30th Dr. SE., Bothell, WA 98021
☎425-951-1200
www.sonosite.com

加藤 瞳
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。