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吉田美由樹さん/弁護士

移民法専門弁護士である傍ら、日本酒ソムリエとして活動、さらにはコロンビア・リバー・ゴージで温泉リゾート施設を営む家族のサポートと、さまざまな顔を持つ吉田美由樹さん。精力的に日々を送る、そのエネルギーの源は何でしょうか。バイリンガルとしてのアイデンティティーを模索しながら育った日系1世の思いについても語ってもらいました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

 

吉田美由樹■神奈川県横浜市出身。幼少期から日米を行き来し、9歳で本格的にアメリカへ家族と共に移住。コロンビア大学大学院で東アジア学を専攻。シアトル大学ロースクールにて法務博士号、加えてワシントン大学にて法学修士号を取得。ニューヨーク、シアトルの大手法律事務所勤務を経て、オレゴン州ポートランドに吉田美由樹法律事務所を立ち上げ、独立。現在は温泉リゾート施設のテンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズで法務にも携わる。日本酒ソムリエなど資格多数。昼は弁護士、夜はソムリエと多忙な生活を送る。インスタグラム(@sakebeauty)で情報発信中。

吉田美由樹法律事務所
移民法や家族法、人事・雇用などに関連した手続きを一手に請け負う。ビザ申請手続きや管理のほか、米国商標登録出願、国際不動産計画もサポート。また、バイリンガル公証人として日本語書類の審査も行う。
Law Offices of Miyuki Yoshida
515 NW. Saltzman Rd., PMB 896, Portland, OR 97229
☎︎503-941-9766(オレゴン)☎︎206-697-8584(ワシントン)
myoshidaLaw@gmail.com

アメリカ移住は父親の長年の夢

「父の『アメリカン・ドリーム』だったんです」。美由樹さんは移住のきっかけを、そう表現する。横浜で歯科技工の会社を経営する両親の元に生まれた。アメリカでの生活を夢見た父親と共に家族でやって来たのは、物心つく前のことだ。シカゴ、ロサンゼルス、グアムでの生活を経験し、オレゴン州ポートランドに移住したのは小学3年生の時。ポートランド日本人学校に通い、グリーンカードも取得した。大学は市内のリード・カレッジに進学し、心理学を専攻したが、初めての就職先となったのは意外にも東京の法律事務所だった。

969年初めてのアメリカ生活がイリノイ州シカゴでスタート1月横浜港から船に乗りハワイで入国を済ませ2週間でサンフランシスコ湾に到着した父親はスーツでビシッと
美由樹さんも赤いタイツに赤のメリージェーンシューズとハイカラだグリーンカードの取得はロサンゼルスで会社を経営していた父の場合は簡単でしたがそれまで日米を行き来していたために私たち家族の分の申請は大変だったと聞いています

「大学を卒業した夏、慶應大学の国際センターで日本語を勉強していたのですが、たまたま新聞広告でバイリンガルのパラリーガルを募集しているのを見て。ちょうど大学4年生で心理学にフォーカスした法律のクラスを取っていたので、法律も面白いなと思っていたんです。それで一生懸命、日本語で履歴書を書きました」

ネイティブの英語を使う仕事と言えば英会話講師くらいだった当時、こんな偶然から東京の大手法律事務所で働き始めることに。バブル真っただ中で日本の銀行が海外の銀行に貸し付けるといった事例も多く、ニューヨークやロンドンなど世界を股にかけてコミュニケーションが取れるバイリンガル・パラリーガルは重宝された。そしてこれが、法の道へ進む契機ともなった。

日本人から日系アメリカ人へ

アメリカに戻り、ロースクールを目指すことを決心した美由樹さんだったが、その道のりは平坦ではなかった。「何度か挑戦したんですが、なかなかうまくいかなかったんです。日本でしばらく生活していたことが逆にあだとなってしまって……。これはまた英語を学ぶ必要があるなと感じました」

ニューヨークのコロンビア大学に通う兄の直樹さんを家族で訪ねて1980年代

コロンビア大学に通っていた兄の影響で、かねてから憧れがあったニューヨークへ。同大学院で東アジアの文化や歴史を学びながら、ロースクールへの挑戦を続けた。だが、そのことは大学院に在籍する2年間、誰にも言わなかったそう。「シークレット・ミッションでした(笑)。もし入れなかったら、そのまま日本の研究を続けて、裏千家の茶の湯について博士論文なんか書いていたかもしれません」。同じ頃、人生の大きな決断もしていた。「大学院の卒業式の翌日、アメリカ人になったんです。ロースクールに進んだら、将来はアメリカの政府で働いてみたいと思っていたので、そのためには市民権があったほうが良いだろうと」

ポートランドにて家族と共に過ごすクリスマス1990年代移住先にポートランドを選んだのは父親がオレゴンは子育てに最適な地という雑誌の記事を見かけたからだそう
1994年5月コロンビア大学大学院で東アジア学East Asian Studiesを修了在学中には日本文化研究の第一人者ドナルドキーン氏の文化センターにてバイリンガルプログラムのアシスタントを務める

やがて美由樹さんはシアトル大学で念願のロースクール進学を果たすが、ここでも持ち前の探究心を発揮する。「ワシントン大学に日本の法律を専門とする先生が2、3人いると聞いて、バイリンガルとして国際的な仕事をするためにも、ぜひ勉強したいと思いました」。シアトル大学ロースクールの学部長に相談して許可をもらい、日本法の面白そうな授業を片っ端から受講。「でも、たくさん取り過ぎちゃったみたいで、あとから学長に怒られたんですよ! その後、私のせいで授業はひとつしか取れないルールができたみたいです」

さらに、父親の勧めでワシントン大学の1年間の法学修士課程に進んだ後、移民法に的を絞り就活。「女性として、日本からの移民として、マイノリティーの自分の立場を生かすには、どうしたら良いかを改めて考えました。そうなるとやはり、移民法を専門にすべきだと気が付いたんです」

見事、ニューヨーク市内マンハッタンにある、当時世界でトップに立つ移民法法律事務所に採用が決まった。こうして数年を超多忙な弁護士として過ごし、ニューヨークをあとにしたのは、9.11の同時多発テロ2カ月前のこと。それから、シアトルの大手法律事務所2カ所を経て、2006年、レドモンドとカークランドに個人事務所をオープン。2008年には家族のそばで暮らしたいと、故郷のポートランドに戻った。現在は同地で個人事務所の代表を務めている。

1997年5月シアトル大学法科大学院ロースクールを卒業父母と共に学ぶことが楽しくて仕方がなかった

ワシントン大学法学修士課程ではアジア法を専門に研究し1998年6月に無事修了スクールカラーの金と紫のガウンがまぶしい
日本でのパラリーガル時代に秘書と当時10歳年上の弁護士と付き合っていましたが弁護士と結婚しなくても自分が弁護士になれると思い婚約解消そうして現在に至ります
ワシントン州司法長官事務所の独占禁止法部門でロークラークとして2年半働いた法学部1年目の夏6人いた学生クラークの中では唯一の女性であり1年生だった

家族のために「温泉弁護士」として活躍

ポートランドから車で約1時間のワシントン州スティーブンソンに母親の別荘がある。テニスが趣味の母親は、体に痛みを覚えた時など、昔からワシントン州カーソンにある温泉に通っていた。両親は「近くに泊まれる場所があれば」と、そこから車で5分のスティーブンソンに別荘を購入。「そうしたら、“アメリカン・ドリーム”の父が、うちの土地も掘ったら温泉が出るんじゃないか、なんて言い出して……」。専門家を招いて地質探査をしていくうち、27年前、本当に掘り当ててしまったのだ。約2,000フィートもの採掘! それが、美由樹さんの家族が現在経営する温泉施設、テンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズ誕生の経緯である。

「せっかくならば、その源泉で日本の温泉文化を地域に紹介したい」という両親の思いから、最初は保養施設を考えていた。ところが、さまざまな法律や規制をクリアする必要があることがわかり、計画は困難を極めた。「近くにコロンビア川が流れていますが、新規のビジネスにおいては湧き出た温泉を直接川に流すことはできません。それで、使用した温泉水をきれいにして流し入れる井戸を新たに掘らなければならなかったんです」

このルールは「リターン・ウェル」と呼ばれ、サステナビリティーの一環である。しかし、注水用の井戸の採掘はなかなかの難度で、失敗を繰り返した。ようやく成功したのは、20年後の2016年、父親の亡くなるわずか数日前のことだった。ワシントン州の保健局や環境保護局との複雑な法的手続きを一手に担ったのは美由樹さんだ。「すっかり、温泉弁護士を自称しています」と笑顔を見せる。

当初は、サウナやプール、カフェなどを併設した日帰り温泉を予定していたものの、新型コロナのパンデミックが起こり、さらなる計画変更を余儀なくされた。そしてついに2022年夏、露天風呂付きキャビン6軒がオープンした。キャビン建設でこだわったのは、エコフレンドリーでプライベートな空間。広大な敷地に建つキャビンは、規模こそ小さめだが、個々の浴槽から景色が楽しめ、各シャワー室にはスチームサウナ機能が。電気自動車用の充電用ステーションも備える。もちろん、目玉となるのは塩素を使用しない源泉掛け流し温泉だ。

使用後の温泉水はろ過され、全て元の水脈に戻される。アメリカの法律では水質維持のため、公共の使用には塩素の使用が義務付けられているが、各キャビンに浴槽を付けることで回避できた。温泉は初めてという顧客が多いが、極上の経験ができたと口をそろえ、オープン1年未満にしてリピーターも少なくないとか。「今度は私自身で、近くにある母の別荘を改築し、露天風呂付きコテージをオープンすることを考え中です。母の名が豊江なので、トヨハウスと呼ぶつもり。家族で借りてもらえるような場所にできたらいいですね」

日本酒ソムリエとしても挑戦の日々

弁護士以外に、日本酒ソムリエとして働く美由樹さん。一見、なかなか結び付かない職業のように思えるが、どんな理由があったのだろうか。

ポートランド美術館アジア美術評議会のイベントにて

「8年ほど前、在ポートランド領事事務所の天皇誕生日のパーティーに参加したことがありました。フランスのシャンパンで乾杯しているのを見て、不思議に思ったんですよ。日本のお祝いなのになんで日本酒じゃないのかなって」。興味本位でまずは1日、日本酒のクラスを受講してみた。しかし、それだけでは物足りなくなってしまい、結局はロサンゼルスの日本酒スクール、サケ・スクール・オブ・アメリカに通い始める。平日はポートランドで弁護士業、週末はロサンゼルスで日本酒スクールという、尋常ではない忙しさを乗り越え、英語で利き酒師の資格を取得した。今では日本酒のイベント・サポートや、レセプションでのソムリエなどの仕事で飛び回る日々だ。今後はロンドンに本部を置く世界最大のワイン教育機関、WSET(ワイン&スピリッツ・エデュケーション・トラスト)による難関の日本酒プログラムに挑戦したいと語る。「プログラムは、アメリカ、アジアなどで開講されていますが、発祥の地であるロンドンで受けたいと思っています。ヨーロッパ各地から受講生が集まるので、ヨーロッパ中に新しい日本酒友だちができるかも?」

このコロナ禍では、ワイン好きにも日本酒を勧められるようになりたいと、ワインの勉強も始めた。オレゴン州のワイナリーに履歴書を送り、2カ所でアルバイトとして採用もされた。WSETのワイン・レベル2のコースで学びながら、2カ月に一度はテイスティング・ルームで接客の仕事に就く。「弁護士の友人には、『法律の仕事、してるの?』なんて言われちゃってます」と笑う。さまざまなフィールドで活躍する美由樹さんの、その原動力は何だろう。「コロンビア大学大学院時代に学んだ、茶の湯の陶芸など、日本の歴史と文化といったものには常に興味を持ち続けていました。日本の文化をシェアしたい、世界に広めたいという気持ちが根底にあるんだと思います」

高校時代には、ポートランドの姉妹都市である札幌から毎年やって来る日本人高校生の通訳を務めていた。その頃から、ふたつの国と文化をつなぐ架け橋でありたいという思いが育まれた。日本で生まれ、アメリカで育った中で培われたアイデンティティーが、今の美由樹さんを支えている。

「人によく贈る日本酒は出羽桜。ブーケのような芳醇な香りが、普段ワイン派の人にもおすすめです。今後は日本酒の輸入にも関わってみたいですね」。美由樹さんの探究心と挑戦心はまだまだとどまることを知らない。

父猛士さんの起こした歯工社デンタルラボは今年で60周年ラボラトリーメンバーオブイヤーを受賞したこともある父は先見の明がありビッグドリーマーでした
利酒師資格取得後もニューヨークラスベガス東京とさまざまな場所で日本酒を学び6つものコースを修了資格取得した
2019年シアトルの寿司職人加柴司郎氏が農林水産省により日本食普及の親善大使に任命された際のレセプションに招待を受ける本誌発行人のトミオモリグチと
モダンかつミニマルなデザインのキャビンは常に予約でいっぱい大人が日常から解放されくつろげる場を提供する

テンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズ
日本の温泉文化と北欧のスパ文化を融合した、隠れ家的宿泊施設。6軒ある2人用キャビン全てに屋根付きの露天風呂を併設。木々の間より、コロンビア川を垣間見ることができる。成人のみ2泊から受け付け。予約はウェブサイトにて。

Tenzen Springs & Cabins
932 Berge Rd., Stevenson, WA 98648
料金:1泊$265〜(清掃費別、ペット不可)
☎︎509-800-7372、contact@tenzensprings.com
https://tenzensprings.com

テンゼン開業でテープカットを行う母豊江さん子ども3人の名前に全て樹の字が入っているのは木のように強く美しく育って欲しいという願いから私たち兄妹が自然豊かなノースウエストで育つことになったのは運命なのでしょうね Photo courtesy of Skamania County Pioneer
20年ほど前父の猛士さんがゴージ地域にソメイヨシノを寄贈し学校や美術館公園高齢者向け施設などさまざまな場所に植樹されたもうすぐテンゼン前の桜並木も見頃となる

 

加藤 瞳
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。