ソフトウェアエンジニアとして多忙を極めながらも、次世代のエンジニアの芽を育てるために尽力する加瀨詩子 さん。就活までの道のりから現在の職場での仕事ぶり、そして将来のエンジニアたちへの思いまで、たっぷりと話を聞かせてもらいました。
取材・文::ジェジュン・ジョン 写真:本人提供
加瀨詩子■埼玉県出身。日本人の父、中国人の母を持ち、幼少期から国際的な環境で育つ。中学2年時に8カ月間のアメリカ留学を経験。高校は都内のインターナショナルスクールに通い、アメリカに戻ってワシントン大学へ進学。地理情報学専攻、コンピューターサイエンス副専攻で卒業後、新卒でアマゾン本社に入社し、AWSのネットワーク部署にソフトウェアエンジニアとして所属。趣味は卓球。 @UtakoInSeattle
プログラミングに夢中になった高校時代
幼い頃からテレビのリモコンやラジオのボタンを押すことが大好きで、小学生でパソコンも難なく操っていたと話す詩子さん。インターナショナルスクールでの高校時代、ITの授業でプログラミングと出合ったのが人生の転機と話す。「CSSやHTMLを学習し、今まで見るだけだったウェブサイトを自在にコントロールできることに驚きました」
詩子さんが「自分もIT業界でエンジニアとして働きたい」と決心することになった出来事がある。ITの授業の一環で高校のOBに連れていってもらった、グーグル・ジャパンのオフィスツアーだ。オフィスに足を踏み入れた瞬間、今まで漠然と思い描いていた仕事像が変わったと言う。「それまでは仕事をすることに対して、つまらない・つらい・苦しいといったネガティブなイメージがあったんです。でも、グーグル・ジャパンのオフィスで働く人たちは皆、キラキラして見えました。自分もこんなところで働きたいなぁ、と憧れましたね」
当時のグーグル・ジャパンのオフィスは、カフェテリアで朝・昼・晩の3食が無料、自動販売機の利用も全て無料で、ゲーム機などの娯楽設備も整っていた。高校生の詩子さんにとっては、まさに夢のような職場。また、女性エンジニアの数が少ないと聞き、「私にも輝けるチャンスがめぐってくるかもしれない」と直感した。
中学時代に留学経験もあったことから、アメリカの大学進学を視野に受験を準備。コンピューターサイエンスに強いワシントン大学を第1志望とし、無事合格を勝ち取った。ここから、詩子さんはエンジニアへの道を本格的に歩み始めることになる。
順風満帆ではなかったエンジニアへの道
ワシントン大学時代は苦労の連続だった。3年次に上がる際の希望専攻の合否は、1・2年次の成績や課外活動で決まる。詩子さんの念願だったコンピューターサイエンス専攻は、ワシントン大学で最高難度と言えるほどの狭き門だ。成績から考えて厳しいと判断した詩子さんは、第2希望の情報学専攻に申し込んだが、これまたコンピューターサイエンスに次ぐ人気の専攻ということもあり、1度目も2度目も不合格。周りの同級生たちが次々と希望専攻に受かっている中で、自分はスタートラインにすら立てていないと落ち込んだ。
ここからのオプションに2通りあった。1つ目は、他大学に編入して、コンピューターサイエンスを専攻すること。だが、大学間で卒業に必要な必修クラスが異なったり、単位の移行を認めてもらえなかったりするため、卒業に1・2年余計にかかってしまうことが多い。2つ目は、ワシントン大学で別の専攻に鞍替えし、ストレートで卒業すること。詩子さんは悩んだ末、結局は親の経済的負担を考慮し、ワシントン大学で地理情報学専攻へ進むことにした。
ただネックなのは、地理情報学が学位上、文系扱いとなること。エンジニアを目指す詩子さんにとって、インターンシップ探しや就活には不利に働く。実際、たくさんのインターン先に出願したものの、結果は全て不合格。「うちのネット環境が心配になるくらい、全く返信がなくて(笑)。ことごとく全部落ちましたね。エンジニアになる道は諦めるべきなのかなと、大きな挫折感を味わいました」
学びたいことを学べないもどかしさの中、詩子さんはこの状況を打開すべく勝負に出る。ワシントン大学ボセルキャンパスでコンピューターサイエンスを副専攻にすることを選択したのだ。それは、詩子さんが通っていたシアトルキャンパスにはない履修プログラムだった。バスで片道1時間半かかるボセルキャンパスに週2回のペースで通う必要があり、ふたつのキャンパスを行き来する過酷な学生生活が始まった。
それでもやはり、インターンシップの出願は通らず、何社も落ち続ける毎日。ところが、アマゾンに勤めていた知人に同社でのインターンシップを勧められると、風向きが変わる。「アマゾンは大企業なので無理だろうという思い込みもあり、実はそれまで出願したことはなかったんです」。知人は「最悪落ちるだけで、ほかに何も影響はないでしょ」と言い、背中を押してくれた。そして何も期待せず、試しに出願してみると、なんと夏季インターンシップに見事合格! 同社では内定直結型の制度だったこともあり、インターンとしての数カ月にわたる努力が認められ、新卒でのアマゾン内定を獲得した。専攻での苦労はあったが、ここでようやく努力が実を結ぶ結果に。「1年前に諦めかけていたエンジニアへの道がいきなりひらけて、驚きと喜びの連続でした」
ソフトウェアエンジニアの仕事とは
アマゾンではAWSのネットワーク部署でソフトウェアエンジニアとして勤務する詩子さん。3年前の入社以降、順調にキャリアを積み、2022年夏には昇進も果たした。
ソフトウェアエンジニアと聞くと、四六時中パソコンに向かいながらコードを書いているイメージかもしれないが、仕事内容は所属するチームや自分の役割によって大きく異なると言う。フロントエンドエンジニアと呼ばれる人たちは、主にユーザー側の目線に立って、プログラムの性能やデザイン・スピードなどの改良にいそしむ。一方、バックエンドエンジニアはサーバーの維持・改善を担当しており、ソフトウェアが目的通り機能するように大枠を作る。そして、フロントエンドとバックエンドのどちらにも取り組む人たちは、フルスタックエンジニアと呼ばれる。
詩子さんが所属するAWSのネットワーク部署のチームでは、陸や海底に埋め込まれている、データセンター同士をつなぐケーブルの地理情報・位置情報を管理するツールを開発している。ユーザー側の機能性を確認するフロントエンドの作業だけでなく、バックエンドのプログラミングなども行っているので、詩子さんはフルスタックエンジニアに分類される。現在も、コーディングやミーティングなどをこなす日々だ。
「私はそこまで野心があるタイプではないので、基本的には現状に満足しています。と言っても、60歳までずっとコードを書いているつもりもなく、10年以内にはエンジニアを統括する管理職に昇進できるよう頑張りたいですね」。管理職がエンジニアより上かというと、必ずしもそうではないとのこと。IT業界では、エンジニアとしての道を極めていきたい人と、マネジャーなど管理職として成長していく人に分かれる。詩子さん自身は、さらに自分が輝くためにはエンジニアよりマネジャーが向くのでは、と考えている。
そのためには、データ分析やセキュリティー管理などの専門知識のほか、人心掌握、コミュニケーションといったソフトスキルも求められる。これらの習得に向け、ワシントン大学の大学院で情報学の修士号を取得することも検討しているそう。もしそうなれば、今度は社会人と学生という、二足のわらじを履くことに。私生活では昨年に結婚。これから、公私共にますます忙しくなりそうだ。
昨今、IT業界ではレイオフの話題や株価暴落など、エンジニアを目指す人にとって不安要素となるニュースにあふれている。そのことについて詩子さんはどう考えているのだろうか。「アマゾンなど大企業のニュースばかりがどうしても目に入りますが、中小企業などを含めるとエンジニアとしての働き口は多い。IT業界の伸びしろは、まだまだあると感じています。希望の大企業に入れなくても、新規株式公開(IPO)間近のスタートアップの社員になれば、将来的に大儲けできる可能性も。今、自分ができることを頑張っていれば、いつか運が味方してくれるのではないでしょうか」
自身のアマゾンへの入社も、運と実力が半々だと考える詩子さん。「運が来たらつかみに行けるように」と、今日という1日を全力で生きている。
次世代のエンジニアに伝えたいこと
詩子さんは「人とつながるのがとにかく楽しい」と、コミュニティー活動にも積極的だ。そのひとつに、シアトルITジャパニーズ・プロフェッショナルズ(SIJP:Seattle IT Japanese Professionals)でのボランティアがある。地域貢献と未来の人材育成のため、シアトル在住のITプロフェッショナルたちによって立ち上げられた非営利組織で、3カ月に1回のペースで小中学生を対象にコンピューターサイエンス教室をオンラインで実施している。
セッションは講義に加え、Zoomのブレイクアウトルーム機能を用いた少人数でのグループ学習の時間もあり、計2時間ほど。現役の一流エンジニアから実践的な内容を学べると評判だ。日本だけでなく世界中から平均100人もの参加者が集まる。
SIJPには日本からの留学生が主体となって活動する学生部もあり、詩子さんはその顧問を務める。所属メンバーの将来のキャリアにつながるよう、コーディングの勉強会やパネルディスカッション、オフィスツアーなどの機会を提供している。
「女性エンジニアのロールモデル」を目指す詩子さんはまた、女性エンジニアの育成にも注力する。2022年夏には、日本在住の女子小学生30~40人を対象にしたSIJP企画の読書会プロジェクトをリードした。2週間に1回のペースでオンラインにて開催し、『Girls Who Code』というコーディングをテーマとする英語の本を3カ月かけて皆で読破。終わった後、「私もエンジニアになりたい」との声が聞かれるなど、手応え抜群だったそう。
SIJPとは別に、個人的にもツイッターを大いに活用し、IT業界を目指す人たちに有用な情報を発信する。現フォロワー数は3,000人超え。アマゾン入社希望者には、模擬面接や履歴書添削も厚意で行う。「今やっていることを続けて、自分のできる範囲で貢献していきたいですね」
最後に、エンジニアを志す若者たちへのメッセージを聞いた。「私は大学で希望する専攻に入れず、不本意にも文系の地理情報学専攻となったわけですが、そのおかげでソフトウェアエンジニアという職に就けました。文系の出だから、現在の仕事とは関連がないから、という理由でエンジニアになる夢を諦める必要はないと思います。自分がやっていること、学んでいることに無駄はないと捉え、前向きにチャレンジして欲しいですね」
シアトルITジャパニーズ・プロフェッショナルズ
2017年設立の非営利組織で、基盤はシアトル。マイクロソフト、アマゾン、グーグルなど、有名IT企業で働くプロフェッショナルたちがメンバーとして所属し、ITを通してコミュニティー活動を行っている。子どもや学生たちに向けた勉強会・講義やオフィスツアーなど、IT業界志望者に役立つイベントを多数開催している。
問い合わせ:contact@sijp.org
詳細:https://sijp.org