オリンピアンから学ぶ人生レッスン
北京、ロンドン各大会で柔道男子日本代表となり、ロンドンでは銀メダルも獲得したオリンピアン、平岡拓晃さんがシアトルを訪れ、7月16日に柔道クリニックを開催! 多くの柔道ファンを喜ばせました。クリニック後のインタビューで、五輪メダリストになるまでの道のりと柔道への思いを聞くことができました。
取材・文:ジェジュン・ジョン 写真:本人提供
平岡拓晃■柔道家。高校3年生でインターハイ60キロ級優勝。以来、2008年アジア柔道選手権、2010年グランドスラムで金メダルを獲得するなど、数々の国際大会で素晴らしい成績を収める。五輪は2008年の北京大会、2012年のロンドン大会に出場し、ロンドンで銀メダルを獲得。
中学時代に才能が開花
柔道を始めたのは小学1年生の時でした。当時、中学校教諭だった父が柔道部を教えていたこともあり、兄と一緒に柔道の世界に飛び込むことに。指導者にも恵まれ、中学に入ってからは結果が出始め、全国大会2位にまで上り詰めました。
しかし、2位というのはやっぱり悔しい。高校では絶対に1位を獲りたいと強く思い、実際にインターハイ優勝という形で目標を達成することができました。五輪含め、国際大会で勝負することが視野に入ってきたのもこの頃です。高校卒業後は筑波大学に進学し、けがに苦しみながらも、国際大会で結果を残せるまでになりました。
夢の舞台での挫折
柔道という競技で、五輪日本代表になるのはとても難しいことです。私が目指した60キロ級には当時、1996年アトランタ大会、2000年シドニー大会、2004年アテネ大会と同階級で3大会連続金メダルを獲得した野村忠宏選手が君臨していました。「五輪に出るためにはこの人を倒さなければ」と、常に意識せざるを得ませんでした。
最後まで野村選手と直接対決することはなかったものの、直前の複数大会で優勝できたこともあり、2008年北京大会の日本代表に選ばれました。私にとって初めての五輪でしたが、日本代表としては同階級4連覇がかかっていました。「金メダル以外は失敗」という重圧の中、全力で挑んだ結果はまさかの初戦敗退。試合後は激しいバッシングも浴びました。しかし、いちばん悔しいのは自分。結果を出せなかったいら立ちで意気消沈していました。
五輪での悔しさは五輪でしか返せない
五輪直後は身体に病が見つかって手術をすることになり、精神的にますます追い込まれました。すっかり投げやりな気持ちになっていた自分を励ましてくれたのは母でした。母は乳がんが見つかって手術を受けていましたが、息子に心配をかけまいと、この時まで私に隠していました。母も苦しんでいたと初めて知り、自分が落ち込んだままだと一生親孝行ができないとわれに返りました。親だけでなく、これまでサポートしてくれた方々のためにも、もう一度頑張りたいと決意。「五輪の悔しさは五輪の舞台で金メダルを獲ることでしか返せない」と感じていたので、2012年ロンドン大会を目指すことにしました。
柔道の練習だけでなく、日常生活から心の準備まで全てを見つめ直し、並々ならぬ努力を積んだ結果、代表に内定。そして本番では銀メダルを獲得することができました。決勝で敗れ、金メダルに届かなかった悔しさはあったものの、表彰式では自然と笑顔になれました。
親や家族はもちろん、4年前に自分をバッシングして奮い立たせてくれた人たちに対しても感謝の気持ちがあふれました。北京での挫折は本当につらいものでしたが、もう一度自分が頑張れたのは皆さんの応援と批判のおかげなんです。自分が目指していたメダルの色とは違っていても、4年前のどん底からここまで人間的に成長できた自分を誇らしく思えました。
これから伝えていきたいこと
現役を引退してからは、さまざまなことにチャレンジしています。筑波大学に戻って博士課程を終わらせたり、柔道の試合の解説や講演会などを行ったりもしました。
シアトルには縁があって、6年前に初めて来た時にも子どもたちに柔道を教えましたが、日系人が比較的多いシアトルならではの自他共栄の精神を感じましたね。気持ち良く裏方に徹している皆さんの姿を見て、シアトルをより好きになりました。今回のクリニックも、関わる全ての方々に感謝しかありません。6年前に比べると英語も少し使いこなせるようになり、新しい出会いやコミュニケーションをさらに楽しめたように思います。
私は柔道というスポーツを極めてきたわけですが、「スポーツというのは人と争うことではなく人とつながることがメイン」だと考えています。自分は2度の五輪出場を通して、挫折からはい上がって銀メダルを獲得するという貴重な経験ができました。そこから、大事なのは勝ち負けではなくそこに至るまでの過程であり、また、いかに自分が恵まれていたかということを学びました。自分が今の自分であるゆえんは、送り迎えをしてくれた親の存在、お世話になった恩師、そしてシアトルで出会った方々など周りのサポートが全て。これからは、自分が学び経験したことをあらゆる形で社会に返していけたらと考えています。
子どもはいつどこで伸びるかわからないものです。柔道界の次世代の育成に今まで通り尽力し、日本発祥の柔道を世界に広めていきたい。また個人としては、留学や英語の勉強など、どんどん新しいことに挑戦していくつもりです!