子どもの時から人を笑わせることが大好きだったマシュー・チャーチルさんは、日本ではちょっと顔が知られた存在だ。NHKの英語教育番組のお巡りさん役でテレビ出演をして以来、達者な日本語とマルチなタレントが開花して、様々なCM出演依頼を受けるように。ヤクルトが発売した美白化粧品「レバンシー・ホワイト(Revecy White)」のCMでは、典型的な白人の容貌のため「ミスターRevecy White」として画面に登場。アサヒビールのヒット商品クリアアサヒのCMシリーズでは、トータス松本、向井理、上戸彩と一緒に5つのバージョンに出演した。これらのCMは、細かいストーリーが設定された新しいタイプのCMとしてヒット。向井理の友人役を演じるマシューさんが、和気あいあいの現場に見事に調和し、臨場感たっぷりに演じている様は圧巻だ(参照元:クリアアサヒ360秒CM、提供:アサヒビール)。
マシューさんは、オリンピック半島のフォークスで育ち、ポートアンジェルスとワラワラで義務教育を終えた。大学進学に必要な外国語の単位をスペイン語で取ろうと思っていた矢先、生徒数が少ないからという理由で、担任教師に半ば強制的に日本語を取らされたのが日本との縁の始まり。
最初に行ったコミュニティーカレッジで基礎日本語を取って外国語の単位を取得。その過程で、生まれて初めて日本人の友だちができ、日本に行く機会を得た。「姉妹校ホームステイプログラムで2週間名古屋に滞在しました。親切なホストファミリーに恵まれて本当にラッキーでした。ホストファミリーとは今でも連絡を取っていて、1年に1度は顔を見せに行きますよ」と語る。
高校卒業後、ウエスタン・ワシントン大学で政治学と東アジア研究のダブル専攻で学位を取った。その傍らで日本語の学習を続け、日本史、日本文化と学習の領域を広げるにつれて日本への興味もますます深まった。2003年、JETプログラムの審査に合格し、福岡県の公立高校で2年間英語を教えるALT (Assistant Language Teacher)に採用された。大学卒業後、何か大きな変化を起こさない限り、これ以上自分の日本語は上達しないと思っていた矢先だったので、チャンスとばかりに飛びついた。
2005年にJETプログラムが終了すると、夜間に英会話を教えながら、昼間は久留米大学で日本語の集中講座を取って日本語の研鑽を積んだ。そして自衛隊陸軍士官候補訓練校で英語クラスを担当することになる。「自衛官たちの熱心さには感心しました。予習はバッチリしているし、授業中には一斉に質問の手が上がるんです。みんなのモチベーションが高いので素晴らしい授業ができました」
教える仕事は好きだったが、もっと日本語を使いたい一心で2008年、任天堂DSの学習ゲームを開発する会社に就職し、東京に引っ越した。英語学習用ゲームや他の学習ツールのデザインと製造を補佐して、海外でのビジネスプロジェクトのコーディネーターとして働いた。
そんな中、2011年の東日本大震災が起こった。他の多くの人同様、この出来事がマシューさんに与えた影響はとても大きい。「いつ何が起こるかわからないという危機感に襲われて、休みを取ってアメリカの家族と過ごす時間を作りました」。遠く異国で暮らす身を改めて振り返ったと言う。石巻に足を運び、地震と津波で破壊された住宅を片付けるボランティアを精力的に行った。その後、東京に戻って企業で英語を教え、フリーランスの通訳や翻訳も手がけた。元々好奇心旺盛で楽しいことが好きなことからタレント派遣会社に名前を登録すると、モデルやバラエティ番組のチョイ役が回ってきた。仕事の合間に引き受けているうちに、次第に大きな仕事が入ってくるようになったのだ。
日 本での生活は決して飽きることがないと言う。「テレビの仕事では常に緊張を強いられますが楽しいです。東京はエキサイティングな人が大勢います。日本は、季節毎の楽しいイベントがたくさんあるし、豊かで楽しい人間関係が築ける場所だと思います」。日本の良さはその簡便性にあるという。「アメリカにいた時のように車の運転をしたいと思うこともありますが、世界一整った公共交通システムのおかげで、どこに行くのもとても便利だし、コンビニ、カフェ、バラエティショップ、その他いろいろな店がそこらじゅうにあるので、日々の生活で苦労することはないですね」チャレンジだと感じるのは、例えばアパートを探す時など、外国人であるため断られたりすること。銀行業務に関しては「これほどサービスが充実した国なのに、銀行が3時に閉まってしまうのはどういうことでしょう? 勤務中にわざわざ銀行に行く時間を作らなければ利用できないというのはおかしいですよね」と首をかしげる。
「とは言うものの、街は安全だし食べ物はおいしいし、交通機関はスムーズに機能しているし、日本はとても暮らしやすいですよ。とどめは自動販売機。でもこの話になると長くなるからここでは省略しますね」と笑う。最近、自分の将来の道に変化が見え始めているそうだ。当初のプランでは英語のレッスン、翻訳、通訳などを業務内容とした自分の会社を立ち上げる予定だった。しかし最近になって、アメリカに帰って西海岸エリアで日本語を使って働きたいと思うようになったという。スポーツファンなので、マリナーズで働きたいという気持ちもある。「この記事を読んだ皆さん、仕事があったら面接してください!」と茶目っ気たっぷり。
「ひょんなことから日本語を勉強し始め、今となっては人生の3分の1を日本で過ごし、仕事の面でも交友関係でも日本とは切っても切れない間柄になりました。あとどのぐらい日本にいるかわかりませんが、思い切り日本を楽しみたいし、これまで日本が自分に与えてくれたことのいくばくかでも恩返ししたいと思っています」