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ソイソース蔵出し 衝撃記事7連発!

「日本人の生活に切っても切れない、しょう油のように愛される新聞になるように」、そして「日本人コミュニティーの情報源(Information Source)になりたい」という願いを込め、名付けられたソイソース。1992年4月の創刊から常にコミュニティーに寄り添い、グルメや観光から、ビジネス、ライフスタイルまで幅広く「面白くて役に立つ」情報を届けてきました。時には斬新、攻めた特集で読者を驚かせることも。また、時代を反映する社会派記事も実は少なくありません。記念すべき600号では、いろんな意味で衝撃的だった記事を選りすぐり、ソイソースの歩みを振り返ります。

※紹介する記事の内容は掲載当時の情報です。最新情報ではありませんのでご注意ください。

衝撃記事その1 やっぱり気になるアメリカ美容整形
衝撃記事その2 セクシャル・ハラスメント現状レポート
衝撃記事その3 恒例! ソイソースが独断と偏見で占う2001年各界大予想!
衝撃記事その4 やりくり生活
衝撃記事その5 Pray for Japan 東日本大震災被災者に救援の手を!
衝撃記事その6 シアトルで出会ったイケメン
衝撃記事その7 知ってる? マリファナ情報

衝撃記事その1 2000年8月25日号 No.129
やっぱり気になるアメリカ美容整形

アメリカで豊胸手術を受けた日本人女性にインタビュー

A子さん(シアトル在住)
小柄な体にカジュアルな洋服が似合う活発な印象の日本女性。現在46歳。

ソイソース(以下ソ):豊胸手術を受けるに至った経緯を教えてください。

A子:思春期の頃から人並み以下に小さくて、いつまでたっても全く大きくならなかったんです。胸がないため洋服が着こなせないことや、みんなが自分の胸を見ているような自意識過剰とコンプレックスに悩み続けました。アメリカに来て結婚、やがて2人の子供にも恵まれ授乳期には少し胸が大きくなり喜んでいましたが、授乳が終わるなり以前よりも小さくなってしまって手術を真剣に考えるようになったのです。それから数年後、主人も「君がハッピーになるなら」と賛成してくれ、手術に踏み切りました。

ソ:なるほど。手術はいつ受けられたのですか?

A子:9年前です。

ソ:手術自体はどんなものだったのですか?

A子:乳首の下部から切れ目を入れ、胸筋の下にシリコンでできた袋を入れ込むものでした。手術後約2週間の回復期間が必要でした。

ソ:痛かったですか? 傷は残りましたか?

A子:最初の数日間は強い痛み止めでほとんどベッドにいた状態で、その後の数週間も、傷が早く良くなるように無理はしないようにと言われていました。だいたい回復期間は2週間から1カ月というところでしょうか。傷は今はほとんど目立たないと思います。

ソ:手術前の期待はどんなものでしたか?

A子:期待としては、これで人並みの胸が手に入る、ということでした。いろいろな服も似合うようになるし、精神的にコンプレックスにも悩まされずに済むと。

ソ:それで、その期待は満たされましたか?

A子:ええ、手術には満足しています。いろいろな服も着られるようになりましたし。自意識過剰やコンプレックスもなくなりました。自分に自信が出ましたね。ただ、自分の持って生まれた体にどうして満足できなかったのか、というある種の罪の意識を代わりに持つようになりました。

ソ:そうですか。手術をしてからの家族や友人の反応はどうでしたか?

A子:家族には話しましたけど、主人は「君がハッピーならいい」と喜んでくれました。両親や兄弟は、「あ、そう」という感じ。職場の親しい人にも伝えましたが、ニュートラルな反応でした。

ソ:手術は受けてよかったと思いますか? 後悔はないですか?

A子:よかったと思うし、後悔はないですが、さっき言った罪の意識とは一生付き合っていくのかな、と思います。

ソ:今日はありがとうございました。

初期ソイソースの表紙に味わい深さ

脂肪吸引や豊胸など、かなり具体的でストレートな内容で何かとパンチが効いており、隔世の感を禁じ得ない。モノクロ時代のソイソースの表紙は、狙っているのか真面目なのか、とにかくインパクト大。この号も、特集自体に「美容整形」というワードの強さがある中で、独特なイラストを大きく採用。下着姿の下半身や、だらしない腹部という生々しい写真を表紙に配しているのも刺激的だ。(N)

 

衝撃記事その2 セクシャル・ハラスメント現状レポート