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出産・産後ドゥーラ:中島 香揚子さん

ドゥーラという職業を知っているでしょうか? 産科医や助産師などの医療サポートとは別に、妊娠中から出産そして産後にその家族の心や体を支えるスペシャリストです。シアトルでドゥーラとして活動し始めて10年目を迎えた中島香揚子さんは、これまで約300もの家族に寄り添ってきました。さまざまな出産事情、コロナ禍の現在を含め、話を聞きました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

中島香揚子(かよこ)■出産・産後ドゥーラのほか、チャイルド・バース・エデュケーターなど資格多数。ドゥーラ・サポートに加え、ラマーズ、スピニング・ベビーズ、ベビーマッサージのクラスなどを通じ、妊娠中から女性とその家族を支える。また、出産や育児について誰でも気軽に集まっておしゃべりできる場として「おはなし会」を隔週火曜日に開催している(現在はZoomを利用)。家族と共にシアトル近郊に在住。「えんドゥーラ」ホームページ:www.nadeshikodoula.com

出産には「チョイス」がある

もともとはグラフィックデザイナーとして日本で活躍していた中島香揚子さん。仕事上、英語が必要だと実感し、語学留学先にと選んだのがシアトルだった。「外資系の仕事なんかだと、英語が全然わからなくて。通訳が入らないと交渉が全然できないような感じでした。これはちょっと勉強しようかなと始めたら、中学英語からやり直さないといけないくらい忘れてた。それでもう仕事いいやって、こっちに来ちゃった(笑)」。そこからドゥーラへの大転換、何があったのだろうか。

「実はそれも、グラフィックデザインの仕事がきっかけだったんですよ。不思議でしょう」。香揚子さんはシアトルでの結婚、出産を経て、フリーランスとしてグラフィックデザインの仕事を受けていた。その頃、コミュニティー・センターで知り合った日本人のお母さんを通じて、助産師としてなでしこクリニックを開業する押尾祥子さんの著書(現在は絶版)のデザインを手伝うことに。「この本では、女性の体が思春期から妊娠・出産を迎え、そして更年期に入っていく流れを説明しているのですが、それがとても面白かった。自分の体なのに全然知らなかったから。もし2人目ができたら、絶対に押尾先生にお願いしようと思ったんです」

カークランドのエバーグリーン病院で第1子を産んだ時はまだ、出産にはさまざまな選択肢があることを知らずにいた。「妊娠したら、病院に行ってドクターに診てもらって、ドクターが言う通りにやっていたら全部うまくいくと思っていたの。それが、押尾先生と出会って、こんなに、お産も産後もいろんなチョイスがあるんだって」。香揚子さんにとっては、まさに目からウロコだった。

2013年から開催する赤ちゃんプレイグループで100回目を迎えた際の記念写真こちらも現在はZoomで行う 赤ちゃんにも使えるサインランゲージやヨガの講師を招くことも

2人目を授かってから出産までの道のりはとても楽しいものだったそう。妊婦健診は毎回約1時間。と言っても、通常の健診は最初の15分くらいで、そのあとはいろんなおしゃべりをしながら、プライベートのことまで話し合える関係を築いてくれる。「お産の時には、それは心強いですよ。あの人が来てくれる、と思うだけで安心できる。ただ、私の場合はめちゃくちゃ早かったんです。病院に着いてベッドに上がったとたん5分で生まれちゃった!(笑)。押尾先生がしっかり取り上げてくれました。先生の顔を見ただけで、あぁ良かったと思って、つるんと出てきた。私にとって、押尾先生はそういう存在」。この時の経験が、ドゥーラとしての香揚子さんの原点にもなっている。

産後ドゥーラ、そして出産ドゥーラへ

出産してしばらく経った頃、香揚子さんの心の師匠「押尾先生」から「近所にお産をした人がいるんだけど、大変そうだから様子を見に行ってあげてくれない?」と、意外な頼まれ事をする。

産後のお母さんには手製の赤飯をお祝いに届けているそう香揚子さんの手料理は絶品と評判だまた産後の心と体の回復を助けるとされる胎盤プラセンタを粉末にして摂取しやすいようにカプセルを作成するサービスも行う

「本当に気軽に頼まれて、それが最初です。そうしたら、まあ大変。座布団の上でギャンギャン泣いている赤ちゃんを前に、『どうすれば良いんでしょう、これ』という感じ。とりあえず抱っこしようか、おっぱいあげようか、というところからのスタートでした」。2度、3度と通い、1カ月も経つ頃には夫婦も変貌を遂げていた。「最初はカチカチだったふたりが、愛情あふれる素晴らしい親へと変わっていきました。顔つきはすっかり穏やかになって別人のようだし、赤ちゃんを抱っこするお父さんの揺らし方も全然違う。うわぁ面白い! すごいなぁって思ったの。それで押尾先生に、また紹介してくださいと頼んだら、『じゃあ、ちゃんと資格取りなさい』と言われたんです。それで調べてみると、ちょうど自宅から車で5分くらいの距離に、自然医療専門大学として世界的に知られるバスティア大学がありました」

そこには、世界最大のドゥーラ養成認定組織であるドーナ・インターナショナルの共同創設者、ペニー・シムキン氏を擁するシムキン・センターというドゥーラ養成教育機関も。偶然にも、香揚子さんはドゥーラ教育の本場で、産後の育児や家事のサポートをする産後ドゥーラのワークショップを受けることができた。「ワークショップは1週間くらいの集中講義でしたが、それだけで資格が取れると思ったら大間違い。講義後に実地研修があり、産後ドゥーラを経験できるクライアントを自分で探します。認定までは4カ月から6カ月くらいかかります」

バッグにはドゥーラの必需品がいっぱい陣痛緩和のためのマッサージ器具やエッセンシャルオイルなどのほかたくさんのスナックも欠かせない

こうして2012年、香揚子さんは産後ドゥーラ資格を取得する。さらに同年にベビーマッサージ、2013年には出産ドゥーラの認定も受け、次々と仕事の幅を広げていく。当時は小学生の子育て真っ最中。出産ドゥーラの呼び出しは夜に突然ということもある。「学校やサッカーの送り迎えができない時は同じサッカー・チームの人に助けてもらったり。そのおかげで人のつながりができた部分もあります。夕ご飯を大慌てで作って、出がけに子どもへ『朝もお母さんがいなかったら、ランチ買ってね!』なんてこともありましたね」と、笑いながら振り返る。そんな忙しい日々の中でもドゥーラの仕事を継続できた理由とは何だったのだろうか。

「産後ドゥーラから始めたけれど、産後とは、もちろんお産があってのもの。産後のお母さんの気持ちは、妊娠・出産前の日常から全てつながっていて、産後はほんの1片でしかない。この人が今ここで泣いているのは、出産の痛みだけではなく、大きく複雑な背景があるんです。何年もの間赤ちゃんを待ち続け、やっと妊娠した喜びで泣いていたりね。だから、この1片につながる点を増やしたいと思って、出産ドゥーラを始めたんです」

出産ドゥーラは出産に付き添い、医療外の陣痛促進や陣痛緩和などの手助けをする。「実際にお産に入るようになったら、びっくりしちゃったんです。あまりにもフィールドが広過ぎて深過ぎて……。産後だけなら、基本的に赤ちゃんとその家族だけとのつながり。ところがお産もとなると、ドクターや産院とのやり取りがあるし、妊娠に関わる症状や経過、病気のこともある程度知っておかなければなりません」

ラマーズ、出産準備クラスを共にした家族のリユニオンでは、新しく増えた家族と共に、幸せな笑顔がいっぱいだ。
コロナ禍の今はZoomで

そこで、次に学んだのがラマーズだ。香揚子さんはラマーズ・インターナショナル認定のチャイルド・バース・エデュケーターとして、2015年から出産準備教室も行っている。ラマーズの特徴は、さまざまな情報の提供にある。「妊娠、出産、産後というのは人によって違います。たとえば、お産の流れはこう進むもので、それに合わせて体や心はこう変化しますよ、病院に入るとこういう医療介入があり、それぞれにこんなリスクとベネフィットがありますよ、という風に個々の状況に合わせて情報を提供できるようにします。ドゥーラや出産準備教室は、栄養学からエクササイズまで、とにかく浅く広い知識を必要とします」

香揚子さんの探求心、向上心はとどまるところを知らない。2016年からは、スピニング・ベビーズの情報提供も開始している。「日本ではあまり知られていないので、何だろうっていう人がほとんどです。これは、人間の体がどういうものなのか、赤ちゃんがどうやって骨盤から産道に下りていくのかを知り、体のバランスを整えることで、お産がスムーズになるように学んでいくクラスです」。認定は更新制なので、3年に1度、コンスタントにトレーニングを受けている。こうして、さまざまな団体の資格を取得する香揚子さんは「どれも全部つながってはいるけれど、奥が深いのでついていくのが大変!」と言いながらも、多方面にわたる知識に自信ものぞく。

ドゥーラは影武者のような存在

特に記憶に残るお産はあるか聞いてみた。「いっぱいあります。陣痛が始まったから産院に行くと言うので私も向かったのですが、あと10分で着くというところで生まれてしまったことがありました。この方のお産は陣痛開始から1時間半の早さでした。かと思えば、数日かかった人もいます。でも、みんな元気な赤ちゃんを産んでいます」

2019年秋シアトルで開催されたペアレントエデュケータートレーニングに参加した際スピニングベビーズ創設者のゲイルタリーさんと対面を果たす再会がうれしくて思わず目をつぶっていました

初産で自宅出産をした人もいれば、長い間待ちに待った赤ちゃんを精一杯準備して迎える家族もあり、お産は実にさまざまだ。計画通り、もしくはそれ以上の結果が出る人もいる一方で、いろんな準備をしたけれど全然違うことになってしまう場合も当然あり得る。そんな時に、母親が前に進めるよう足元を照らすのもドゥーラの役目だと香揚子さんは言う。「帝王切開などの医療介入の判断も、赤ちゃん、お父さん含め、家族にとってこれが最善の選択だと自信を持って選べるように情報を提供してお手伝いします。お産の時、私自身は影武者。お父さんをそーっと後ろから押しながら、見えないように、お母さんをサポートするのがドゥーラなの」

コロナ禍の現在、出産を取り巻く状況も大きく変わっている。病院には、子どもをビジターとして連れて行けなくなったため、2人目以降の出産の場合、子どもを預けるか、お父さんが見ていなければならない。「もちろん、お母さんひとりではなく、どんな環境でも家族が一緒にいられることが理想。最後まで検討を続けてもらいますが、万が一立ち会えない場合には、ドゥーラと2人で、ということもあります」。そんな中でも変わらず赤ちゃんは生まれてくると、香揚子さんは顔をほころばせる。「お兄ちゃんお姉ちゃんは来られなくなったけれど、ドゥーラの私は、お父さんがしっかり愛情を持ってお母さんをサポートできるように、その後ろからサポートするんです」

最後に、ドゥーラとして大切にしていることを聞いた。「ひとりひとりを尊重すること。出産への考え方はみんな違います。私は家族が目指す方向へ動けるようにサポートするだけ。赤ちゃんのお産の記憶は生涯残ると言われ、誰にとっても人生での一大イベント。家族に見守られ、安全な環境でのお産がかなえば、たとえ大変だったとしても、暖かい記憶が心に残ると思います」。そんな香揚子さんは、月に1〜4家族の出産を抱えながら、クラスもラマーズを隔月で、スピニング・ベビーズやベビーマッサージを2、3カ月に1回開催し、今日も大忙し。シアトルでお産を経験する家族にとって、実に心強い、頼れる存在だ。

加藤 瞳
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。