団塊の世代の日本人が今直面する、親の介護。高齢の父母の暮らしを手助けするために、日米を往復する夫婦の暮らしとは?
私の父は6年前に、94歳で亡くなりました。最後に足腰こそ弱りましたが、体の丈夫な人でした。かつては、上半身裸になって、よく庭で木刀を振っていたものです。
その父には残念ながら、90歳少し前くらいから認知症の症状が見えてきました。「今、何時かな?」と数分おきに尋ねる。散歩に出かけて帰り道がわからなくなる。時々、厳しい表情で周囲の人を怒鳴りつけるようにな
る……。読書家で、毎日日記をつける人でしたが、そういう習慣も消えていきました。
母にとっていちばんショックだったのは、デイサービスの送迎バスで自宅に帰り着いても、「家に帰る」「お母さんのところに帰る」と言って、父がバスを降りようとしなかったことです。両親はそれまで、互いを「お母さん」「お父さん」と呼んでいました。母は父に「私はここにいますよ。ここが家ですよ」と言うのですが、どうしても降りず、「では、お帰りになる前に、ここでちょっとお茶でも」となだめすかして下車させたと言います。
その時の父にとって、家というのは「自分の生まれ育った家」であり、お母さんというのは「父を産んだ人」だったのです。記憶はずんと遡ってしまうもののようです。
義父は今、同じ94歳です。この1、2年で義父にも「今、何時かな?」「今日は何日?」が始まりました。けれども、私の父と大きく違うことがあります。「僕には何もすることがない」と漏らしていた父と違い、義父
は庭仕事や家回りの修理などにまだ精を出しているのです。
高齢化と共に認知症が増えるのは仕方がないと覚悟していますが、周囲を見ると食事の支度などいつまでも家事を受け持つことの多い女性のほうが、認知症の発現が遅いことを感じます(毎日の献立を考えるだけでも頭を使います)。
母が専業主婦として全てを切り盛りしていた実家には、サラリーマンを退職した父のする仕事は何もありませんでした。それに引き換え自営業の義父は、義母が小学校教師として働いていたので、家庭内に自分の仕事、役割分担がありました。いろんな要素があるとは思いますが、家の中に仕事
分担を持つということは、退職後の生活にとって非常に大切なことだと思われます。
義父は先頃「要介護1」と認定されましたが、家回りの片付けなどにまだまだ頼もしい存在です。私たち夫婦は、両親の世話をすることによって、これからの自分たちのあり方を学んでもいます。夫が率先して行う家事分担が近頃増えているのはうれしい限りです。