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1411フォース・アベニュー・ビル

アールデコたてものツアー(5
1411 Fourth Avenue Building

シアトル建築協会のツアー「Diamonds & Gold: The Art Deco Skyscraper Northwest Style(ダイアモンド&ゴールド:ノースウェストのアールデコ高層建築)」で巡るビルをご紹介しているシリーズ5回目は、前回取り上げたグレート・ノーザン・ビルと同じR.C.リーマーの設計で、同ビルとほぼ同時期、1829年に完成した「1411フォース・アベニュー・ビル」。

一見したところはあまり面白味のない実直な四角いビルディングだが、よく見るとエントランスの上に彫られたケルト風の文様やビルの上の装飾が個性を放っている。外壁は全て近隣で産出された砂岩。入り口のすぐ横にはかつて煙草や葉巻を売っていた小さなガラス張りの売店があり、幾何学模様と植物の有機的な形を組み合わせたフレンチアールデコ様式の王冠のような装飾と、精緻な細工のある窓枠や扉が往時を物語る(現在は宝飾品と時計の修理店が営業中)。エレベーターホールも正統派アールデコの意匠でいっぱい。

このビルを建てたチャールズ・ダグラス・スティムソンは、ピュージェット湾周辺に豊富に生い茂っていた上質な木材に目をつけて19世紀末に中西部から移転し、木材業で成功したスティムソン家の跡取り息子たちの一人。シアトルの名士となった彼は不動産業でも成功し、シアトル初の都会的な本格ホテル、オリンピック・ホテル(現在のフェアモント・ホテル)の建設にも携わった。このビルの完成前に、スティムソンは不動産事業を一人娘のドロシーとその夫に譲った。ところがその2年後、夫が病気で急死してしまい、ドロシーは3人の子どもと共にとり残された。

誰もがこのビルは当然人手に渡るものと考えたが、ドロシーは周囲の反対を押し切って、ビルを自分で管理する道を選んだ。女性が実業界に進出するのは異常なことだと考えられていた時代に、自らテナントと渡り合って賃料を集め、大恐慌の時代を乗り切ったのだ。その後、ドロシーは再び周囲が反対する中、1947年にラジオ局を、1949 年に当時米国北西部で唯一のテレビ局だったKING-TVを買収。黎明期のテレビ事業を見事に軌道にのせ、報道に注力したテレビ局作りを果たして、6社を傘下に置く企業に成長させた。

やむなく実業界に入ったワーキングマザーが米国で初の女性テレビ事業主になり、さらに西海岸随一の放送事業に育て上げた生涯は、まるでドラマのよう。このビルは、ドロシーがその一歩を踏み出した記念すべき場所だった。

[たてもの物語]

Tomozo
シアトル生活7 年めの英日翻訳者。 livinginnw.blogspot.com 協力:シアトル建築財団(Seattle Architecture Foundation/SAF) シアトルの建築やデザインと人びとを結ぶことを目的に活動する非営利団体SAFは、シアトルの建てものを巡る楽しいツアーを常時開催中(英語のみ)。本コラムはツアーで紹介されるエピソードを中心に、SAFのエキスパートの協力を得ています。詳細はseattlearchitecture.orgへ。