晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.11
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第11回 演歌と浪花節
日本の歌謡曲、特に演歌には伝統芸能との深い関わりが見られます。「浪花節だよ人生は」という演歌があります。おそらく、1984年に細川たかしや水前寺清子が歌ったのがいちばん知られているかと思いますが、1976年に小野由紀子という演歌歌手の歌唱により発売されたレコードが最初。その後、多くの歌手によってカバーされている大変人気のある曲です。演歌の中でもリズムが軽快で明るい調子の曲ですが、恥ずかしながら私は「浪花節」とは単に大阪的なリズムのことで、この曲も大阪のご当地ソングだと長年思っていました。ところがそうではなく、浪花節は語り芸の「浪曲」のことです。
浪曲が始まったのは明治時代の初め頃。三味線を伴奏に七五調の独特の節回しで物語る大衆芸能です。義理人情をテーマに涙と笑いを誘い、通俗的であることを「浪花節的」と表現するのを知ったのは歌謡曲の研究を始めてからでした。なるほど、「浪花節だよ人生は」とは、女の人生は義理と人情に振り回され、泣いたり笑ったりを繰り返すものだ、という曲なんですね。ここでは紹介しませんが、歌詞には恋に翻弄され踏んだり蹴ったりの女性の心情がつづられています。
浪曲の起源は、最古の伝統芸能と言われている能よりも古く、800年くらい前と推定されていて、浄瑠璃や説経節などを基盤に大道芸として成立したと言われています。能や歌舞伎、文楽(浄瑠璃)などは視覚的な楽しみがありますが、目をつぶると理解するのが難しい。なぜなら、これらの演劇の語りはほとんど何を言っているかわかりませんから。ところが浪曲を始めとする語り芸は、その名も語りが芸の中心ですから、耳だけで聴いても面白い。さかのぼれば、鎌倉時代に成立した平家物語も琵琶法師によって口承で広められました。この語り芸の系譜が行き着いたのが今のところ演歌なのではないかと思うのです。義理人情は演歌の重要なテーマのひとつですし、涙を浮かべながら悲恋を歌うパフォーマンスも情緒的な浪曲と共通しています。
数年前に東京・浅草の木馬亭という浪曲専門寄席に行ったことがあります。チケットは2,000円くらいでした。昼から夕方まで何人もの浪曲師が入れ替わり立ち替わり口演を行います。およそ100席の小さな会場に観客はたった10人ほど。現在では、浪曲が聴ける演芸場は数えるほどしかないそうです。大衆の好みは変わるので、大衆文化がそのままの形で継承されることは難しい。つまり、大衆芸能であった浪曲も、現在は伝統芸能になりつつあります。
個人的に、演歌はカラオケがある限り存在し続けると思っています。そして、浪花節的な精神も、演歌の中に生き続けることでしょう。