晴歌雨聴 ~ニッポンの歌を探して Vol.7
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
第7回 カラオケ
アメリカにしばらく暮らすと、無性に日本が恋しくなるときがあります。そんな時に私が具体的に思い描くのは、日本の温泉とカラオケボックスです。
シアトルには日本のように個室式のカラオケ店もありますが、私が初めてアメリカで経験したカラオケは、バーで曲をリクエストしてかけてもらい、ほかの知らないお客さんの前で歌うスタイルでした。知らない人の前で歌うなんて、歌唱力に自信がないとできないと思いませんか? 日本で発祥したカラオケが、アメリカに渡ると、なるほどこうスタイルまで変わってしまうのかと驚いた記憶があります。
ところが、今や個室スタイルが当たり前になっている日本のカラオケも、そもそもは1970年代にスナックなどの飲食店や宴会場でお酒の席の余興として始まったとか。現在の個室スタイルのカラオケボックスが登場したのは1980年代になってから。そこで初めて、お酒を飲まない人も知り合い同士だけで歌うことを楽しめるようになったのです。
では、なぜカラオケが日本で始まったのかを考えてみると、やはり日本人は歌うことが好きなんじゃないかと思うのです。歌謡曲という言葉が広く使われるようになったのは昭和初期で、文字通り「歌を謡う曲」の意味です。街角やラジオ、レコードで繰り返し流れている曲が耳に残り、口ずさみ、やがて曲に合わせて歌ってしまうのが歌謡曲です。
私の祖母は、日曜日の昼間に放送されている「NHKのど自慢」を欠かさず観ていました。「NHKのど自慢」は視聴者参加型の公開生放送で、日本全国各都市をめぐってアマチュアの出場者がその歌唱力を競う、1946年から続く長寿番組です。この番組が長く続くのは、やはり歌うのが好きな国民性のおかげではないでしょうか。そしてカラオケが、誕生当時のお酒のおまけとしてのオープンマイク式から、歌うことが目的のカラオケボックスに転じて大成功したのは、知り合い同士だけなら歌うことをためらわずに楽しめるという日本人の「内」と「外」にこだわる文化的な背景も関係しているのかもしれません。
海外では、いまだにバーなどのオープンマイク式が主流ですが、日本国内では、昼間から子連れでカラオケを楽しんだり、ひとりでカラオケに行く人も増えたりと、もはや老若男女に親しまれる文化として定着しています。カラオケを通して歌をめぐる日米の文化の違いを掘り下げてみるのも面白いかもしれません。