ハワイでは言わずと知れた有名人だったといわれる関口愛子。1960年代に女性歌手グループ「トリオ・こいさんず」のメンバーとして活躍し、その後、ハワイに渡りカラオケ教室を開いて成功しました。2014年に亡くなるまで、「おたまじゃくしの会」というカラオケサークルを主宰し、歌を通してハワイに住む日本人たちと交流し、たくさんの人々に親しまれたとか。
日本からハワイを訪れた美空ひばりや藤圭子とも親交があったそう。トリオ・こいさんずは大阪松竹歌劇団の同期生で、1960年に梅田のジャズ喫茶で歌っていたところをスカウトされました。デビュー後、その人気は急上昇し、1962年と1963年には紅白歌合戦にも出場。代表曲「イヤーかなわんわ」(1962年)は明るい音頭調のリズムカルな曲で歌劇団出身というだけあってその歌唱力には定評がありました。同じ芸能事務所の先輩、ザ・ピーナッツに続くスターとして、普及し始めたばかりのテレビや映画にも出演し、全国的な人気を集めました。
1968年に解散後、関口愛子はハワイへ渡ります。初めはナイトクラブで歌っていましたが、その後人気を集め、ついには自身の店を開き、さらにカラオケ教室を始めました。そして1979年、ハワイで1枚のレコード「My Home Town(マイ・ホーム・タウン)」をリリース。ホノルルを拠点に活動していた作曲家のデール・セナガとともに制作されたものです。ロサンルスへ飛び、ハリウッドの伝説的なミュージック・スタジオ、A&M Studiosでアルバム全楽曲のバックグラウンド楽器演奏とバックコーラスをわずか2日間で録音。その後、ホノルルに戻り、関口愛子のヴォーカルとセナガのシンセサイザー演奏が録音されました。このアルバムの中でも注目すべきは「タイムマシーン」。シンセサイザーとディスコリズム、関口のソウルフルな歌声が織りなすファンキーなサウンドが、シティポップとは異なる文脈でハワイで生まれていたなんて、驚きです。このアルバムは2016年にホノルルのレコードレーベルから再販され、再び注目を集めました。
私が関口愛子を知ったのは、イギリスに住むクリエイターが作成したYouTubeのプレイリストで「タイムマシーン」を聴いたのがきっかけでした。そのグルーブ感に衝撃を受けたのを今でも覚えています。45年近く前の日本語の楽曲が、こうして海外のリスナーの耳に届き、当時を知らない世界中の人々が簡単に聴けるようになるって、面白い時代になってきたな、と思いませんか?