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女性シンガーソングライターの先駆者、りりィ〜晴歌雨聴〜ニッポンの歌をさがしてVol.35

晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして

日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。

第35回 女性シンガーソングライターの先駆者、りりィ

日本の女性シンガーソングライターの走りとして荒井(松任谷)由実の少し前に登場した、りりィを知っていますか? 憂いを帯びたハスキーボイスが特徴的で、1972年に「たまねぎ」というアルバムでデビューしました。当時、先行するシングル盤なしにアルバムでデビューするのはとても珍しいことでした。

りりィは福岡県の出身で、小学生の頃からは東京で育ちました。米空軍将校の父親が朝鮮戦争で戦死したため、飲食店で働く母親とふたりの母子家庭でした。その母親も17歳の時に亡くなり、生活のためにスナックやバーなどで弾き語りを始めたのが、後の音楽活動につながったのだとか。1974 年には「私は泣いています」が大ヒット。この失恋ソングは、切ない歌詞もさることながら、ブルース調のメロディーや楽器使いが斬新です。何より、寂しげながらも芯のあるりりィの声が素晴らしく、歌手にとっていかに声のパワーが大切かを思い知らせてくれる一曲です。

あるアメリカの音楽学者が、観衆は歌手の声質とその歌手の人生を重ねてその歌唱を聴く傾向を持つと論じています。りりィの場合も若くして両親を亡くし、夜の街で歌っていたという背景があり、そうした苦い経験をやや暗く憂いを帯びたハスキーボイスで表現しているかのように聴こえます。1973年に発表したシングル「心が痛い」でも、ドラマチックな曲進行で、感情のこもった歌唱を披露しています。「心がはりさけそう」と歌詞にありますが、聴いている側も同じ気持ちになります。

同時期に音楽活動を開始した荒井と比較すると、荒井は吉田拓郎やかぐや姫などのフォーク・シンガーと並べて語られることが多い一方、りりィは当時のアバンギャルドなアーティストとのコラボレーションが目立ちます。デビューした1972年には大島 渚監督の「夏の妹」に出演。返還された沖縄を舞台に大島が批判をこめて作り上げた作品で、りりィはピアノ教師を演じました。1977年にはアングラ演劇作家として知られる別役 実のラジオドラマ「地下鉄のアリス」に、アリス役で声の出演をしています。歌だけでなく、ラジオドラマでもその独特の声の魅力は十分に発揮されました。

70年代の音楽業界ではプロデューサーの力が強く、自らの音楽性を表現できるアーティストとなると、まだまだ男性が多かった時代。そんな中、自ら歌詞を書き、曲を作り、俳優としても自分の世界観を打ち出していた、りりィのようなアーティストは大変貴重です。ぜひ一度、りりィの世界に浸ってみて欲しいと思います。