晴歌雨聴 ~ニッポンの歌をさがして
日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究する坂元小夜さんが、日本歌謡曲の世界を案内します。
アメリカに住む日本人の皆さんは、日本の風景と聞いて何を思い浮かべますか? 私の場合、そのひとつに鹿児島県の桜島があります。親戚がいるため、幼い頃から何度も訪れているものの、桜島を眺めたのはおそらく1度か2度くらい。それでも、その時の印象が強く残っています。
鹿児島湾に浮かぶ裾広がりの桜島は、鹿児島のシンボルであり、街中に灰を降らせる活火山として独特の存在感を放っています。70年代までの歌謡曲を専門に研究している私は、つい北国をテーマにした曲や歌手ばかり気になってしまいがちです。でも今回は、本州最南端の鹿児島を代表する歌手、長渕 剛について考えてみたいと思います。
実を言うと、長渕の歌はストレート過ぎる気がして、なんとなく避けてきました。改めて聴いてみると、聴き覚えのあるメロディーやフレーズが多く、心に響く名曲ばかり。特に、本格デビューとなった1978年の「巡恋歌」、1980年の「順子」、1983年の「GOOD-BYE 青春」など、昭和が終わろうとしている1980年代半ばくらいまでに発表された曲に強く引かれます。
80年代、長渕は「家族ゲーム」、「親子ゲーム」と立て続けに話題のドラマに主演。その主題歌も担当し、日常的な葛藤を歌い上げています。90年代になると徐々に視野は広がり、日本の未来を憂うような内容や、力強く生きることがテーマに。熱狂的なファンを魅了し続けている一方で、コンサートの際に日の丸を掲げるなどのパフォーマンスは、ナショナリストと批判されることもあります。
アメリカで日本のポピュラー音楽を研究する学者が、長渕の歌のストレートな「語り」を高く評価していました。長渕は社会の暗黙のルールに従わないアウトローとして、出身地である鹿児島の家族や友人たちの延長線上に思い描く、絆の深い理想的な共同体への希望を真っすぐに歌い続けている数少ない歌手のひとりだと言います。この「共同体」を表現しようとすることで、時にナショナリストとして受け取られてしまうこともあるのでしょう。2004年8月には、愛する故郷、鹿児島・桜島でオールナイトのコンサートを行いました。国立公園の一部を整地するところから始まり、コンサート当日は観客をフェリーとシャトルバスで輸送するなど、まさに規格外。今も伝説のコンサートとして語り継がれています。
歌詞が鹿児島弁で書かれた2006年リリースの「気張いやんせ」で、長渕は「前つんのめりで生きて行こや」とメッセージを込めます。青臭いけれど純粋。だからこそ、多くのファンの心をつかむのかもしれません。前述の研究者の指摘通り、長渕のような歌手は日本では貴重。そのブレない姿勢は、素直にかっこいいと感じます。